| ワン・ワールド(小説) |
ぼくはその町に到着し、ホテルを探さなければならなかった。最初に見つけたバーに立ち寄った。店内はパッヘルベルのカノンが流れており、人々はとても静かに飲んでいた。ものすごく健康的なバーだった。僕に目をやる人もいたが、映画のエキストラみたいに無視された。カウンターの席に座り、ビールを頼んだ。バーテンダーは言った。 「どこから来てどこへ行くんだい」と。 「いや、しばらくここにいたいんだ」と答えた。 「通りすがりってわけじゃ無いんだね?」と彼は尋ねた。 「ここは通りすがりが多いのかい?」と僕は尋ね返した。 彼は言うまでもないという目つきをしたまま黙った。 「ホテルを教えてくれないかい?」とぼくは尋ねた。 「君は金を無駄に使うのが好きなほうかい?それならホテル・ワン・ワールドへ行きな。そこしかないが、ものすごくゴージャスで夢見たいな一日を送ることができるよ」と彼は口の端をひくひくさせながら言った。 「そんなリッチなホテルは泊まれないし、泊まるつもりもない」と僕は言った。 「君は上客じゃないってわけだ。この町の人間はあのホテルに泊まって法外な金を払ってマリファナを吸いに来る奴らの落とす金で成り立っているんだよ。君みたいのが一番困るな。言っておくけど住民はマリファナ禁止だからね。へんな期待しないでくれよ。まあしょうがないから、今夜は俺のアパートに来いよ」と親しげに言った。ぼくは別にマリファナをに関してはどうでもよかった。あまり選択の余地もなさそうなので、彼の申し出を受けることにした。 店が閉まるまで外を散歩した。外は温かな風が吹き、月も眠気に誘われたみたいな色をして夜空に浮かんでいた。 ホテル・ワン・ワールドが何物かはすぐにわかった。その建物は町の中心にバベルの塔を模して建てられた非現実的な高層ビルだった。かつてはわれわれはたった一つの言語を話したが、その塔の所為で非常に多くの問題が起こることになったのだということだと思った。それ以外の建物はせいぜい二階建てで質素なものばかりだった。道はきれいだったが、通り過ぎる人はさまざま格好をしており、同じくらい幸せそうだったり、憂鬱そうだったりした。
閉店時間にバーへ戻った。バーは閉まっており、ドアを蹴っ飛ばそうと思ったが、そういうのは新参者がすべきではないよなと思いやめた。ぼくはさっき通った公園に向かった。別に公園に浮浪者はいなかった。幸せな町なんだと思った。 公園には小さな屋根付のステージがあった。雨は降りそうになかったが、一応屋根はあったほうがいいと思いそこで夜明かしすることにした。ぼくはリュックサックから寝袋を出し、パジャマに着替えてその中に入った。ぼくはどんなハードな状況でもパジャマがないと眠れないたちだったのだ。
朝、人の声で起こされた。 「お前どこで寝ているんだ!」と。 寝ぼけ眼でいると、その男は僕を蹴っ飛ばした。 僕は飛び起き、寝袋をでて着替えている間にどんどん人が増えた。ステージには、どんどん楽器や音響装置が運び込まれていった。そこに昨日のバーの男が来た。 「やあ、お前がどうしていたんだか心配したよ。客がいなくなっちゃったから早々と閉めたんだ。お前日本人だろ。日本人は時間に正確だっていうが、日本以外はそうじゃないんだよ。まあ元気でよかった。どこに泊まったんだい」と彼はまくし立てるようにいった。ぼくはそのステージで寝たことを伝えた。 「なかなかファンキーな奴だなお前。俺はボブっていうんだ。お前は?」と彼は尋ねたので、ミノルだと言った。 「ああ、カメラで有名な名前だな。覚えやすいよ」と彼はうれしそうに言った。別にそれならTOYOTAの方がよかった。ぼくは結局その日のコンサートの準備を手伝わされることになった。大方セッティングが終わった頃に、ぼくはイタズラにドラムスを叩いた。すると、そのままジャムセッションが始まってしまった。なんの曲をやっているのかさっぱりわからなかった。適当にリズムをレゲーに変えてみるとみんな声をそろえて歌いだした。 ワン・ラーブ ワン・ハート レッツ・ゲット・トギャザー・アンド フィール・オール・ライト
そう、気分は最高だった。 愛はひとつ、心はひとつ、みんなひとつになれば最高さ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| リトル・ウィング(小説) |
みどりは決して無能でも不遇でもなかった。どちらかといえば美人ですらあった。 希望がすべてかなうことも無かったが、耐え難い絶望に陥ることも無かった。誰もにできるだけ優しくありたいと思ったし、誰もがおおよそ親切に接してくれた。 みどりは、自分の人生がディズニーランドのようであればいいと思うほど幼稚ではなかった。けれど、安全なハイキング・コースを歩んでいるのだと思えた。確かに坂道は続き登るのは辛くあるくのをやめたいと思うこともあったが、それはハイキングコースで人波についていけば必ず展望は開けた。ただそれだけだった。彼女は景色に感激した。足元の谷や遠くのセザンヌのような山々に見とれた。彼女の周りには、同じように景色を眺める人もいた。ほとんどの人は一瞥をくれると、それに背を向けた。弁当を広げ缶ビールを飲み大声ではしゃぐ一団もいた。彼女は自分が間違っているように思えた。そして誰もがするように、ハイキング・コースに人生の価値は無いと言い聞かせた。
ある夜、彼女の寝室の窓を突き破って大きな音とともに誰かが飛び込んできた。 彼女は、一瞬のうちに恐怖のとりこになった。わたしは犯され殺されどこかに捨てられると思った。犯されるのだけならそれだけにして欲しいとさえ思った。犯されるのは想像できる恐怖だったが、殺されるのとか、誰も知らないところに自分の死体が放置されていることとかの恐怖は想像できなかったので、奈落の底に突き落とされる位こわくなり、震えが泊まらなくなった。 今日は家族はいなかった。正月で父親の実家へ泊りがけで出かけていたのだ。彼女だけは受験の追い込みで行かなかった。 それは、みどりのベッドの上で頭を抱えていた。 「いてぇ〜」と痛そうに言った。そいつはガラスの破片で血を流していた。大出血というほどでもなかった。彼女はいつもどおり親切にしようとは思わなかった。体が動かなかったのだ。 「君は、僕を呼んだだろ」とその男は片言の日本語で言った。彼はスティングだった。 彼女はスティングのCDをかけながら勉強していた。呼んだのかもしれないし、呼ばなかったのかもしれない。スティングの目を見つめたら恐怖の金縛りは瞬時に解けた。 彼女は、スティングにサインをもらおうと思ったが、そういうことはスティングはプライベートでは嫌いだろうなと思った。彼女はスティングよりひどい片言の英語で話を始めた。 初めに聞いたのはスティングはサンタクロースを信じるかということだった。スティングは言った。 「僕と同じだけサンタクロースはいる」と。 言いたいことはわかったような気がした。 みどりは一晩中思いついて言葉にできることをスティングに尋ねた。話を聴けば聞くほど世界は不思議になり、世界はどんどん広がった。 朝日とともにスティングは美しい霧になって消えた。 それは彼女のファンタジーであり、実際には彼女は発作的に飛び降り自殺を試みたのだった。彼女は非常に幸運にもかすり傷を負っただけだった。 それは本当はスティングが彼女に小さな翼を付けてくれたからだった。
彼女は数学科に進学し、奨学金を得てオックスフォード大学で脳科学を数学理論で説明する脳の不確定性原理の理論を確立し、数学のフィールズ賞のほか、すべてのノーベル賞を同時受賞した。なぜならすべての人間の営みにある限界を明確に与えたのだら。 彼女はそれほど意欲があったわけではなかった。ただイギリスにいけるという話を聞いたとき、スティングに会えると思いハイキング・コースから外れたのだ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ユーブ・ガット・ア・フレンド(小説) |
「世の中には、二種類の人間がいる。ろくでもない友達がいる奴とまったく友達がいない奴だ」と同じ牢屋にぶち込まれた男は僕に言った。 「お前はどっちだ」と彼は最後の審判のように言った。 「君の意見には賛成できないね。」 僕は続けた。 「必要なときに時に限って友達がいない奴といつも友達がいない奴だ」と。 「それも言い考えだ。まるでベッシー・スミスのブルースみたいだな」というと彼はその古い歌を歌い始めた。 ひどい音痴だった。狭い牢屋でそれは拷問に等しかった。しかし何を僕は吐けばいいんだ。連れ込んだホテルで、女が金を要求したのでぶん殴った。そのことはおまわりにも白状している。おまわりはその女を売春で捕まえることはなく、僕だけを捕まえた。おまわりはここら辺で簡単に女が見つかると思っていたのかとせせら笑った。ぼくは酔っ払っていて、ここらへんがどこらへんかもわからず、その女と仲良しになっただけだ。深い意味は何もなかった。ぼくだって人恋しくなるときはある。それが弱みだということはわかっていて、簡単には女も友人も作らなかった。それほどタフな人間ではないのだ。彼女はぼくがゲームのルールをわかっていると思って僕についてきたのだろうが、ぼくはどこからゲームが始まったのかもわからなかった。ひょっとしたら、この町のある一線をまたぐと瞬く間に連絡が行き、お客が来たことを知らせるのだ。まるで無線タクシーみたいに。 ぼくはしばしばそういうローカルルールに疎くて失敗したものだった。友達が必要なのは、別に僕のハートの隙間をふさいでもらうためでなくそういうローカル・ルールを教えてもらうためだった。 僕はそのブルースマンに尋ねた。 「ここのおまわりは、どれくらい腐ってるのか」と。 彼は言った。 「面倒を起こす奴が嫌いなんだよ。それと黒人が」と。 彼は黒人だったからここにいるのだという顔をした。それは弱音ではなくファイティング・ポーズだった。 僕は就寝のとき看守に彼女に謝る分と同じだけ君の寛大な扱いにも感謝するといった。そしてそれを神に誓った。 看守はパソコンを貸してくれて、ぼくは自分の電子口座を操作した。看守も同じ事をした。僕はいったん監獄に入れられたが看守はすぐに戻ってきた。 「おい、その白いの。女があれは恋人同士の喧嘩だったとないて電話してきた。出ろ。二度と来るな」と言った。 僕は、看守にみみもとで囁いた。 「そこのニガーも用済みだ。一緒に出ろ」と看守は言った。 ぼくらは警察を後にし、バーへ行った。彼は、彼の仲間に僕が魔術を使ったといって紹介してくれた。彼らはたぶんろくでもない友達なのだろう。彼らはずっと僕に酒をおごり続けた。 ぼくは看守にまだ振り込み記録が残っていることを伝えただけだった。 まったく友達がいない奴でもろくでもない友達を作れることを今日学んだ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ヘルプレス(小説) |
僕の世界が少しずつ広がっていくにしたがって、世界が悲惨なものであることに気づかざるを得なかった。 いつも父とは母は怒鳴りあっていたが、それはどこでもそうなのだと思っていた。父親は母親をぶん殴る以上に僕をぶん殴った。少なくとも小学生までは。母は内にはお金がないから我慢しなさいといった。お金がないことが行動の尺度になった。土と遊んでいるときはそれで十分だった。 父は酒の飲みすぎで胃を悪くし血を吐いて死んだ。死んだときも酒瓶を持っていた。父の葬儀を知らせるべき相手はいなかった。死ぬということはものすごく静かなものなのだと思った。そして父の死後我が家もとても静かになった。 ぼくは頭がよく、中学校の教師からがんばるようにといつも励まされた。どんなテストも10分以内に書き終わり退席した。ぼくのクラスにはもう一人大変頭のよい奴がいた。内田ひとみだった。 彼女と僕は共通点が多かった。彼女の父親はまだ生きていたがひどい酒飲みだった。彼女はとうの昔に土と遊ぶのは止めており、ぼくより自分の悲惨さをよく知っていた。ぼくは彼女がかなり大人に思えた。 僕のすぐ後に彼女が教室を出てきた。ぼくは図書室に行って百科事典を読むつもりだったが、彼女は自分のバスケット・ボールの練習につきあってくれないかと言った。 彼女はスリーポイントシュートの練習を続けた。ぼくは彼女にボールを投げ返した。 「ねえ」と彼女は大きな声で言った。 「なに」と僕は答えた。 「マサオは女の子の身体って知っている?」とボールを投げ名が言った。僕はボールを無言で投げ返した。 「セックスって知ってる」とまた彼女はボールを投げた。僕はまた無言でボールをまた投げ返した。 「百科事典に載っているはずよ」と彼女は肩で息をしながらその場に座り込んだ。僕は彼女のところに行き、そのことなら幼稚園の砂場で教わったと言った。 「愛とセックスの組み合わせは何通り?」と少し難しい数学の問題を僕に課した。4通りだと僕は答えた。 愛のあるセックス、愛のないセックス、セックスのない愛、セックスも愛もない関係。最後のは微妙だった。 「間違いよ」と彼女は言った。 「じゃあ3種類だ」と僕は反論した。 「違うわよ。最低もうひとつあるのよ」と彼女はぼくが論理的に何か間違っているかのように言った。 「4種類と、レイプよ。正確に言うと父親の娘に対するレイプよ」と。 彼女は再びシュートを続けた。そのシュートは一つも入らなかった。彼女は用意された解答を答えるつもりはなかった。彼女は自分で問題を見つけ解答することを僕に示したかったのだ。 「わたしはいなくなるの。このままじゃ生きていけないの。親戚のうちに逃げるの。地獄みたいな家から逃げ出すの。でもわたしはけっしてお菓子の家なんかで道草はしないわ。あなたが女の子でなかったのはひとつの救いね。あなた神様がいるって信じる。わたしは信じたの。この前の日曜日洗礼を受けたわ。そして決心したのよ。」 彼女はドリブルを数回してシュートした。そのボールは見事にゴールした。 彼女は翌日からいなくなり、テストからすぐに退席するのは僕だけになった。僕はその後百科事典など読まず、体育館でバスケットボールのシュートをした。彼女の言いたいことはわかったが、わかればわかるほどわだかまりが増えた。しかしどんなに迷い動揺してもゴールをはずさないようになった。 ぼくはひどく不利なゲームを戦う。 そんなとき、僕はなぜかトランクを持って風雨の中を逃げていく彼女の姿を想像するのだった。しかし彼女を守る神様がどんな風体なのかは想像することが決してできなかった。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ヘルプ!(小説) |
大学のビュッフェで僕はノートに向かっていた。 「それから」と書いてからぼくはコーヒーを2杯飲み、タバコを5回吸いに喫煙コーナーに行った。 だいたいノートには「それから」としか書いてなかった。それは夏目漱石が小説のタイトルが決まらず、その次の連載だったから「それから」にしたのだと言う話を聞いて、僕も小説を書きたいと思う、それにあやかり「それから」と書いてみたのだ。 雅子は高校からの大学の友達だったが、美人でセンスがよく、しかも小説を書き、すでに小さな文芸賞を獲得していた。彼女は美人でセンスがよく小説家の卵であるだけでなく、本気で小説家になろうとしていた。 僕と彼女にそれは違いはたくさんある。第一僕は男で気の遠くなるくらい将来の経済的成功と、彼女を作るあらゆる目前の努力の間で引き裂かれそうだった。彼女はすぐにできたが、思いを果たすのはなかなか難しいことだった。 少なくとも小説を書こうと思って知ったことが二つある。 ひとつは、現代小説家はことごとく不細工だと言うことだ。この点でぼくは目標をひとつクリアしていた。 もうひとつは簡単に持てる男の話はハーレクイーン小説と呼ばれ、悶々ともてない男の話が純文学と呼ばれるのだということもわかっていた。またしてもぼくは目標をクリアした。 かなりの条件でぼくは雅子をリードしていいたが単に小説がかけないという点だけがひどいハンディキャップだった。 雅子が僕を発見して寄ってきた。 「良一君書けたあ?」と彼女は言った。 ぼくはノートを見せた。彼女は、信じてもいない神様に苦情を言った。そして座っていいかといいながら僕の横に座り、僕からノートとペンを奪って何か書き始めた。ぼくはタバコを吸いに行くと断り、席を立った。 コーヒーを二つ買い席に戻った。 雅子は、すでに何か書いていたようで、ぼくが座るとノートを僕に見せた。コーヒーについては何も言わなかった。
**************** それから。 雅子は一週間大学に姿を見せなかった。彼女が大学校内でレイプされたことは、誰もがうわさで知っていた。いや掲示板で全世界の人が知っているかもしれなかった。しかし実際の話を知る人間はぜんぜんいなかった。レイプされたのがぜんぜん違う人になっていることもあった。またレイプの真犯人が何人も告発された。事実を知っているのは良一だけだったが、誰も良一のことは知らなかった。 良一の携帯にメールが入った。雅子からだった。 「高校時代のいつものところに来て。来ないと自殺する」と書いてあった。 ****************
「どうネタ的にはいいでしょう?」と楽しげに笑った。 「これって重過ぎるだろう」と良一は雅子に苦情を言った。 「レイプについて書けない男の小説家なんて私はファンにはなれないわ」と言い、「次の授業が終わったらまた来るからがんばってね」と言い残してビュッフェを去った。
**************** 良一と雅子は池袋のデパート内にある喫茶店であった。ここではレイプがどうのこうと物騒なことはいえない。雅子の背後では子供が買ってもらったばかりのおもちゃで遊び、良一を見て笑った。良一も笑い返したが、雅子には違うように見えた。 「私と会ってうれしい?」と雅子は低い声で言った。 「いや心配していたから少し安心しているだけだよ」と答えた。 雅子はなかなか話し始めなかった。雅子が話し始めないので、良一も何も話せなかった。子供はおもちゃに飽きることはなかった。 雅子は切り出した。 「みんなどう思っているの?何人かにメールしたけれど要領を得ないのよ」 良一はできる限り要領よくその要領を得ない状況を説明した。そしてきっぱりと言った。 「もし君が大丈夫なら、何もなかったように振舞うべきだ。だれもその話の真実など知らないのだから。もし君が深く傷ついているのなら、十分癒えるまで学校に来る必要はない。君は才能に恵まれている。君は辛いかもしれないが、君の才能は杖の代わりになってくれるだろう。もしその中間で不安だったり怖かったりして一人で歩くことができないのなら、僕の名前を呼んでくれ。どこへでも行く」と。 雅子は小さな声でありがとうといいそして付け加えた。 「あなたの身にはなにもなかった。良一はそう思う?」 良一は凄惨な光景を思い出し、消しゴムで消し、寸前のところで彼女を庇うことができたように書き替えた。そして彼女は何か問題を抱えているがそれが何かよくわからないものとした。しかし犯人に何もできなかったことについての疚しさも消したかったが、それだけは残った。 翌日雅子は良一と腕を組んで大学へ行った。今日だけの話だったが、良一は大学一の美人と腕を組んでいることが少しは自慢だった。今まではそうは思わなかったのに。雅子は、昨日の良一の言葉ですでに自分だけでも戦う決心をしていた。そして実際に長い戦いを戦った。場合によっては良一を呼び出さざるを得なかった。 「ヘルプ!」 代返が必要だったのだ。 ****************
雅子が帰ってきた。 「良一まじめすぎだよ。まるで模範解答だよ。私だってもっとどろどろだよ。世の中不条理であなたが願ったこととは反対のことが起こるのよ。あなたが願ったものは、あなたが本当に起こって欲しいことの反対なんだよ」と、彼女はため息をついた。 彼女は言った。 「良一私すきになれる?」と。 「それは予想できた展開だよ。だけど現実とフィクションがごちゃごちゃになるからあえて避けたんだよ。ラブ・レター書いてんじゃないからさ」と良一は答えた。 「じゃあ言うけど、私は良一が好きなの。これはリアルにそうなのよ。だけどあなたがぼーっとすべてを見逃していくような性格だから放っておいたの。この大学のこの学部を受けるように言ったのも私だって覚えている。わたしはあなたが本好きでいろんな本を教えてくれたから本を読むようになったのよ。何も覚えてないんだから失礼しちゃうわ」と雅子は常々思っていたことをすべて言った。それ以上言うと怒りに変わりそうだった。そしてコーヒーを買いに行った。 帰ってくる途中、雅子はつまずいて、コーヒーを白いスカートにこぼして叫んだ。 「良一助けて」と。 良一はスーパーマンより速く彼女を助け、すべての悪者から彼女を助けることを誓った。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| 虹の彼方へ(小説) エリナ・リグビー2 |
僕と彼女は、名前はまだ知らない、彼女は混み合うハンバーショップに入って食事をした。ぼくはチーズバーガーと頼み、ハンバーグをゴミ箱に捨て、出がらしのコーヒーと一緒に食べた。彼女はアイスクリームとホットコーヒーを頼み、コーヒーにアイスクリームを付けてぐるぐるかき回して飲んだ。彼女はダイエットにはよいのだといった。むしろ腹に悪いと言うべきだと思ったが言わなかった。 店は彼女みたいな男女が足を投げ出して腰掛、代わる代わる嬌声を上げていた。全員2時間以上粘っているみたいだった。こんな回転の悪い店を明けているのは経営者失格だと思った。あるいは慈善事業のつもりだったのかもしれない。 ぼくだけ、100%普通の格好をしていた。彼らがゾンビでぼくはその中に迷い込んだ善良な市民みたいだった。やせっぽちの山羊をペンキで塗りたくったような小僧が僕の足を蹴っ飛ばした。 「すいますせん」と彼は礼儀正しく、ちょっと身構えた僕がひどい弱虫に思えた。 ぼくは彼女に尋ねた。 「僕は大崎って言うんだが、君はなんて呼んだらいんだい?」と。 「ねえ、あなたわたしと永遠の誓いでもしたいとおもっているの。名前がわかるとわたしの知識が何か大きく増えると思うの。わたしたちは何かの代名詞でよくないの?」と答えた。 彼女が頭が悪くないのはわかった。 「OK、じゃ僕らはミスター&ミス代名詞だ。できれば、おまえ、とかは呼んで欲しくはない」と僕は言った。 「わたしも、おまえとか、ねえとか、なあ、ぼとけとか、かすとかは呼んで欲しくない」と彼女は言った。「じゃ、ミスター店を出ましょう。空気が悪すぎるわ」と彼女はさっさと僕を置き去りにして店を出て行こうとした。ぼくは吸いかけのタバコを消して、彼女とぼくの食器を片付けて彼女を追った。 「ミス・レディ」僕は店の外にいた彼女に声をかけた。 「馬鹿じゃないの」と彼女ははき捨てて言った。「どうしようか。」 「ぼくは、ちょっとくたびれていて路上生活をしたくはない。温かい布団に包まりたい。金ならある。問題は、ちょっとでかい荷物を抱えていることくらいだ」と言った。 「いいのよ。わたしを殺して、なんか大き目のバッグに死体を詰め込んで、どこかの川に放り込んでも。この町にはそういう頭のおかしいのが確実に何人かはいるからね。どこかにいなくなっちゃった友達も何人もいるし。けどわたしもそれなりの抵抗をしようというつもりではいるの。ちゃんとポケットナイフ持っているし。あなたを殺すことはできなくても、あなたが殺人者だと証拠くらい残せるわ。なんだったらそこらへんの約の売人から薬を買ってわたしに飲ませて、わたしが抵抗できないようにする事だってできるわ。けどそれはリスクが大きいわ。売人と殺人事件の線を洗えばたった一人の人間の人相がはっきりするからね。犯罪をするなら、その場任せじゃだめよ。まず一流の犯罪者になること、つまり最低の人間になることが必要だわ。でどうするの?」と彼女は僕に死刑宣告をするように言った。 「君はこの町に浸りすぎだよ。どこか知らないところへ行く。そこでゆっくり考える。どうだい?」とぼくは死刑宣告を引き伸ばした。そしてタクシーを拾い、彼女を乗せ、運転手にこれから泊まれるシティーホテルを予約して、そこへ行ってもらうように頼んだ。 ミス・ノーバディは、すぐにバスに入った。その部屋は普段でも泊まらないとてもいい部屋で、窓ガラスの外には東京タワーが展望でき、室内はアンティークの調度品で飾られていた。間接照明に照らされて、ぼくらはとても上品な秘密の世界に迷い込んだみたいだった。彼女はものすごく普通に「すっごい」を連発してその部屋のあらゆるものを確かめた。彼女はとてもいい匂いだと主張したので、彼女が気が済むまでタバコは吸わなかった。 彼女がたぶん鼻歌を歌ってバスタブに使っている間、ぼくはテレビを付けた。いくつかチャンネルを変えると、フィギア・スケートの録画放送をやっていた。 とても美しかったが、困難な技に挑んでしばしば失敗した。解説がなければもっとよかった。ぼくは音声を切ってぼんやり美しいスケーターたちの死闘を眺めた。 ミス・ローリングストーンがバスからあがってきた。バスローブをまとい髪をタオルで丁寧に拭きながら歩み寄ってきた。ぼくが寝転がっているベッドに腰掛けて、彼女もテレビを見つめた。白い氷のリンクは雲の上のようで、スケーターが飛び跳ねるごとにスケートのエッジは虹色の光を放った。彼女たちは世界で一番軽く速く高く踊っていた。彼女はぼくなんかわすれてその映像に見入った。とても難しい技をやると驚き我がことのように喜んだ。虹色のパフォーマンスは代わる代わる続き、僕らは一緒に喜ぶようになった。 その放送が終わると、彼女はさっとたちあがり、歌い踊りだした。歌は「虹の彼方へ」で、ダンスはクラシック・バレーだった。彼女は虹を飛び越えるように大きくジャンプした。まとっていたバスタオルが落ちたが彼女は気にしなかった。彼女の小さな胸は清らかで、肌は3月の氷のように白かった。彼女にはそれが似合っているような気がした。彼女はくるくる回って、地上で何かを拾い、それを息で吹き飛ばした。空中からなにか光るものをそっと取り出し、それを掲げながら何度もジャンプした。こっそりと僕に近づくと彼女はそれをぼくにくれた。僕は非常に不器用にそれを持った。彼女は気ままに踊り始め、そして目からは涙がこぼれ始めた。こぼれた涙は虹色を放ち、飛び散った。そのすべては真珠となってその部屋を埋め尽くした。最後にとても高くジャンプすると、ぼくの横に寄り添うように着地した。 彼女はまた僕の袖引っ張りながら、泣き続けたが、それは自分をなだめているような感じだった。彼女はやることはやりやるべきでないことはやらないでよいのだ。 彼女はそのまま寝てしまい、ぼくは彼女に毛布をかけて寝た。 夢の中で彼女と会った。そこは虹の彼方で、僕の幸せな記憶と彼女の幸せな記憶が飾られたギャラリーになっていた。彼女は大変幸せであり、今日も幸せなようだった。僕の幸せは枚数が少なかった。自分が自分の幸せのために何かをしようとした記憶が第一なかった。幸せは不意に訪れそしてすぐ消えた。結婚生活は、まったく幸せのギャラリーには入っていなかった。僕もいけなかった。結婚なんて、妻を射止めることも含めて、全部何かの手段だった。ぼくはピアノを習わされたが、それもただの苦痛だった。ピアノの教師は非常識の塊だった。ぼくはピアノは弾けなくても常識のある大人になりたいと思った。ぼくは、柔道を勝手に初めてひどい骨折をした。それは幸せのギャラリーに入っていた。 女の子とセックスした光景は一枚もそこになかった。僕自身はそれはとても幸せに思っていたのに意外だった。 彼女が歩いてきたので何か尋ねようとしたら、夢から覚めてしまった。 そして目覚めた。ぼんやりした頭の中でどうせ彼女は消えているんだろうなと思った。彼女はちゃんと身支度を整え、僕が起きるのを待っていた。 「おはよう」と彼女は明るく言った。 「なんかいい事あったみたいだな」と僕は答えた。 彼女はうなずいて、ちょっとためらいながら言った。 「なんにもしてないのに言うのはなんなんだけれど、千円でいいからもらえな」と。 「たった千円でいいのかい」と僕が答えると彼女は言った。 「家に帰るだけだからそれで十分、お願い」と彼女はいたずらっぽく笑っていった。 ぼくは彼女にとっては貴重な千円をやり、彼女を最寄の駅までタクシーで送った。彼女をおろし、ほんの会釈をしてタクシーを出した。彼女はタクシーの後ろで大きく手を振っていた。 ぼくは虹の彼方のギャラリーで自分の幸せの枚数が増えるように生きるべきだと思った。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| エリナ・リグビー(小説) |
マスターは、スローなテナー・サックスの「蛍の光」を流した。しばらくして何組か残っていたお客に声をかけた。支払いをしている間、ウェイトレスが、預かり物を取り出し、お客に渡す。静かだが親しみのある声で、ありがとうございました、またおこしくださいませ、といってゆっくり頭を下げた。 最後の客が帰ると、マスターは手際よく今日の売り上げを清算した。その間に、ウェイトレスの女の子、美晴ちゃんなのだが、彼女は、瞬く間に私服に着替え、ハンドバッグとバイクのヘルメットをわしづかみにして、お先に失礼しま〜す、と軽やかに言うと、ドアの呼び鈴を鳴らして飛び出していった。低いバイクの排気音を鳴らし、都会のどこかへ消えていった。 マスターは、ビートルズの「リボルバー」をかけた。 彼はできる限りのものを光熱費で落とそうと考えていたのかもしれない。交際費かもしれなかった。しかし彼は交際なんかしなかった。奥さんを事故で亡くして以来、彼は誰とも交際していなかった。店でも、ろくに言葉を発しなかった。客に執拗に文句言われても、決して言い返さなかった。彼が知らぬ間に作り上げた世界は北欧の森のように静かだった。 ぼくは、ロシアのツンドラ地帯みたいに冷え切った家庭に帰るより、しばしばここで時間を無駄にした。ぼくは毎日残業していることになっていた。今日も遅くなる、と電話し一応アリバイはつくった。そのうちそれも止めるだろう。 マスターがあのように深く奥さんを愛していたのに失い、ぼくがこんなにあの女を不愉快に思っているのに続いているのは何かの間違いだった。息子の受験がその女のすべてだった。彼女は、自分が勉強しなかったことを悔い、息子には自分がどれだけ勉強したかを説いた。ぼくは息子にピアノを習わせることだけは止めさせた。それ以来ぼくらはセックスをしていない。それはそれで構わなかった。息子の母親を愛さなければならない理由はあまりなかった。 奥で、マスターが大声を出した。 「なんだお前は!」と わけのわからないやり取りや何かを蹴飛ばす音が飛び交った後、いったん静かになると、マスターが女の子を突き出して、フロアに出てきた。マスターは、彼女の前に立つと、その女の子を指差し、そのまま手をテーブルを方に向けた。女の子はうつむいていたまま立っていた。 「マスターは君に座るように言ってるんだ。座りなよ。」と僕が言うと彼女はぼくを、檻の中のトラがにらむみたいな目つきで僕を見た。 彼女は数日前シャッターで酔っ払っていた女の子だった。 彼女は、たくさんのエクステンションをつけ、目の周りを真っ黒に縁取り、デニムのジャケットのしたには、極彩色のチューブトップをまとい、白いフリルだらけのスカートの下に、黒いレギンスを履いていた。靴は赤いコンバースだった。つまり数日前とは違う格好だったといいたいだけだ。これで同じ格好だったら彼女はひどく悲惨な数日間を送っていたことになる。 彼女は言った。 「ゴールドカードのおっさんが何でここにいるの」と。 ぼくは自分の家庭の事情を話してもよかったのかもしれないが、それはふいに立ち入るにはむごい現実だと思った。彼女もピアノを習わされたのだろうか? 「ただの客だよ。君こそなんでここにいるんだよ?」とぼくはなるべく当たり前のことのように聞いた。 「トイレで吐いてたんだよ」とマスターが言った。 「なんだ、君は誰か人情のない友達に置いてきぼりにされたのか?もう終電ないよ」と僕は彼女に言った。 「ああ、おなかすいた」と彼女は言った。 「飯ぐらい奢ってもらえると思って男についてきたんだけど、わたしが16歳だとわかったら、逃げやがったんだよ。やるだけやって、飯は食わせない、お金も払わないはないよね。ちょっと人間不信になるわ。」 僕はその人生の冒険者に閉口し、頭を抱えた。 リボルバーは「シー・セッド・シー・セッド」を流していた。 彼女は言った。 「ゴールドカードのおじさんは16歳の女の子にお金払えないよね。ゴールドカードというからには家庭も会社も大切に強いるんでしょ。パッシングや幅寄せなんかしたことないんでしょ。」 車の運転については当たっていた。 マスターは僕の耳元で、店に泊めてもいいといった。しかしこの子は店に泊めてもらって、ありがとうございました、では気がすまない奴だということは容易に想像がついた。あらゆる予想外のトラブルを考えてみたが想像がつかなかった。 「君は近くに知り合いいるんだろう」とぼくは彼女に尋ねた。 彼女はいないといった。友だちがひとりぽっちなら泊まれるがそうでなければさまよわなくてはいけないというのだった。 ぼくは質問を繰り返すたびに取り返しのつかない方向に自体が向かっている気づいた。ぼくは質問を止めることにした。彼女が誰であるか知らないし、この冒険にいたる理由なんか聞きたくもない。そしてこんな冒険が長続きするわけ長いことについて詳しく説明する気もなかった。 「金で片がつくんなら何でもするよ。ところで君は君が16歳だということを証明するものなんか持っているの?」とぼくはまるで馬鹿みたいではないことを示そうと思っていった。 「あんた馬鹿じゃない。身分証明書もってこんなところ夜中うろつきまわる女の子がいるわけないでしょ」と。 いずれにせよ馬鹿だったわけだ。 僕はマスターにお手上げのポーズをし、その子を連れて店を出た。 店を出るとき「リボルバー」は「アンド・ユア・バード・キャン・シング」を流していた。 その小鳥は、僕の上でに軽くとまって、ずっとクスクス笑ってい続けた。もうぼくは妻に電話するのをやめた。 ぼくは、自分がとまっている小枝が折れて谷底に転落しそうな気がしていた。僕のためでもなく、彼女のためでもなく、誰のためでもなく、ただ明日の朝のために。 そして誰も明日のことはわからなかった。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| シーズ・リービング・ホーム(小説) |
仕事の接待で、終電を逃した。またサウナか。経費削減でタクシーで帰宅することも最近はまったくなくなった。タクシーで帰って数時間寝て出社するのも馬鹿みたいだった。 三塁ベースからホームにスライディングして、また全力で三塁ベースまで走り、再びホームに走った昔の野球の練習みたいだった。 妻は、最初の頃は、身体を張ってホームをブロックしたものだが、最近はこの練習に意味はないように思うようになったらしい。ぼくだって意味があるとは思えないが、三塁ランナーだということは重大な意味があった。たとえバッターが99%打てる見込みがないとしても、ピッチャーへの牽制のためのリード、まぐれ当たりの外野フライ、曲がり損ねの変化球でのキャッチャーの後逸、内野手のエラー、それらを決定的な1点にするかしないかは三塁手にかかっていた。ホームランは打たないでほしかった。それなら歩いてダッグアウトに帰った方がましだ。
ぼくは携帯でほとんど無言電話の妻に連絡した。これが日本資本主義の最前線なのだと説明しても理解してもらえない。いつものサウナホテルへ向かった。 その途中、子供、というか十代の女の子が、ビルのシャッターの前で寝転んでいるのに気がついた。最近はバカな子供が多い。昔と同じように。ただ昔は馬鹿は馬鹿なりの格好をしていてわかりやすかったが、現代は馬鹿もそうでない子供も格好からはわからないことは気づいていた。 そんなことを考えていると、彼女が馬鹿なのかそうでないのか確かめたくなり、道を戻った。女の子はそのまま寝転んでいた。ジーンズにその他わけのわからないものを身に付けていた。彼女は酒臭かった。特に寒いわけではなかったが、このまま置き去りにするのも、なんかあった時いやだとおもった。 ぼくはしばらく横に座ってものすごい解決策を探してみた。 立ち去りかかわらないことにするのがベストだった。 警察を呼ぶのも手かなと思ったが、「君はこの子の何なのさ」と尋ねられると答えようがなかった。善意の第三者、と言う言葉が頭に思いついた。世界中善意の第三者だらけだったらその世界はものすごく悲惨だろうなと直感した。たしかにそれが現実で世界は悲惨で満ち溢れているが、視聴率稼ぎのテレビの所為で良心を維持できているのだ。 いったい最近なにか善意を使ったことがあるだろうかと思った。全然なかった。僕は道交法を守り、着実に運転し、オイルやタイヤを定期的に点検し、何年かに一度新車に乗り換えた。ゴールド免許が僕の善意の証なら確かにそうだといえなくもない。しかしまるで知らない人にゴールド免許を見せたところで僕はおそらくなんら信ずるに値する人間だとはみなされないだろう。 ぼくは、近くの自動販売機でミネラルウォーターを買い、女の子のところにもどり、彼女を揺り起こした。その間だれもそこを通らなかった。見方によっては僕は彼女に暴行を加えているように見えたかもしれない。 彼女は、目をこすり、小さなあくびをし、僕をどんよりとした目で見た。また寝てしまいそうだったので、半ば強制的にミネラルウォーターを飲ませた。酔っ払えば発汗しのどが渇く。 彼女はミルク瓶のよう抱えて水をごくごくと飲んだ。 彼女は、起動の遅いパソコンみたいに、目を覚まし、頭を何度か振ると、深い息を何度かして言った。 「おじさんだれ?ここはどこ?今何時?」と。 「僕は通りがかりのゴールド免許を持ったサラリーマンで、ここは赤坂と青山のたぶん中間あたりで、今は午前2時34分だ」とぼくは丁寧に答えた。 「まっじい」と彼女は宿題の提出日を間違えたみたいに言った。 「ぼくはとやかく言いたくはないけれど、君は少なからず問題のある状況にいると思ったので、せめてその酒臭い息がどうにかなるまではなんとかしようと思った」と僕は言った。なんかひどい罵声を浴びるかと思ったがそんなことはなかった。 彼女はそれどころか何もしゃべらなかった。 ぼくはタバコをすっていいか彼女に聞いた。彼女は、「早死にしたければいいよ」といいながら僕からタバコを奪って火をつけるように催促した。僕も一緒にすった。彼女は深くタバコの煙を吸い込み、かみ締めるようにゆっくり吐き出した。まるでマリファナを吸っているようだった。 しばらくすると彼女は突然泣き出した。僕のスーツの袖を激しく引っ張った。涙は次第に嗚咽になり、嗚咽は、激しい痙攣のようになり、それは僕の心も揺さぶった。ぼくはただじっとしていた。気の聞いた言葉が見つからなかった。 大丈夫なんとかなるよ、いやなんともならないことはたくさんあった。 悩んでいることがあったら話してごらん、いや人の悩みなんか解決できないし、話を聞くのも下手だった。 こんなところじゃなくて温かいところ行こう、いやそれは問題をさらに複雑にするだけだった。 ぼくは寒いから飲み物を買ってくるね、とさっきミネラル・ウォーターを買った自動販売機まで行き、缶コーヒーを二つかって帰ってきた。 彼女はいなかった。 空は少し青みを増し、カラスの鳴き声が一羽二羽と増えていった。 ぼくは善意の第三者以上だったであろうか? テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| 恋は悲しきもの(小説) |
彼女は今日引越しする。 ぼくは授業を受けていたが、外ばかり見ていた。外では低学年の生徒がドッジ・ボールをやっていた。 「宮崎」という先生の大きな声がした。先生は、僕に近づいてきて、よそ見をしているくらいなら、廊下に立っていろといった。 ぼくはみんながくすくす笑うのを聞きながら戸を開け廊下に出た。教室の中で大笑いがした。先生は静かにするようにいい授業を再開した。かわるがわる国語の教科書を音読していた。まるでカエルの学校だなと思った。 ぼくは音を立てないように、クラスから離れ、階段までたどり着くと猛ダッシュで、駆け下りた。そして校庭を一気に走りぬけた。後ろで僕の名前を呼ぶ声がしたようにもおもったが決して振り返ることはなかった。
彼女の家に近づくと、鼻水が止まらなくなった。鼻水をすすりながら、走ると息ができなくなった。鼻水をすするのはやめ流れるままにした。最後の角を曲がると、トラックが見えた。彼女の引越しのトラックだ。ぼくはもう息をするのすら止めてトラックに向かって走った。しかしトラックは黒っぽい排気ガスを出すとゆっくり走り始めた。ぼくはまだ距離を縮めることはできた。しかし次第にそれは困難になり、彼女の家を通り過ぎる頃には、小学生とトラックの力の差を十分見せ付けるだけの差をつけていた。しかしトラックは交差点で停止した。ぼくは将来小学生に優しいトラック運転手になろうと誓いながらなおも走った。あと3mというところで、信号が変わり、トラックは再び走り始め、この世のどこかの果てに消えていった。 ぼくは、道端に座り込み、激しく息をした。トラックは行ってしまった。彼女は行ってしまった。ぼくは天涯孤独で、授業中に学校を抜け出した間抜けだった。だんだん頭がくらくらし、目の前が真っ白になり、このまま死ぬんだと思った。 気がつくと、彼女がいた。彼女は言った。 「大丈夫。宮崎君」と。 彼女の家族も一緒にいた。 「ああ、なんでもないよ」と僕は言った。 「トラック、戻ってきたの?」と僕は尋ねた。 彼女のお父さんが言った。 「僕たちは、飛行機で行くんだよ。」 ぼくは混乱して、この狭い町に飛行場があるのかと思ったが、それは口にしなかった。 「いや、そうですね。ああ、裕子さんに手紙渡そうと思って、ちょっと来たんです」 僕は手紙なんかもっていなかったので、ズボンを探すフリをして言った。 「あわてていて、手紙忘れてきちゃった。いやさようなら言えればそれでいんです。」 彼女のお父さんは言った。 「ありがとう。この子も君のことよく話していたし、今日はいい思い出になったよ。なあ裕子」と。 彼女は言った。 「宮崎君はそうしてやりすぎのところがなければ、いい人だと思うんだけれど。とにかくありがとう」と言って手を差し出した。ぼくは彼女の手を軽く握ったが、目から涙があふれ始めてしまった。その時間はとてもなく永遠のことのようで、とても短く一瞬のことのようでもあった。 彼女のお父さんは言った。 「悪いのだけれど、飛行機の時間もあるからぼくたちは出発の支度しなくてはいけないんだ。君の事はこの町で一番速く走った小学生として決して忘れないよ。じゃあね」と。 彼女も短く「さようなら」と言った。 ぼくはその場にとどまりうつむいていたがとうとう大声で泣き出した。彼女に聞かれてもよいと思った。こんな悲しいことは今までなかった。学校には帰らなかった。帰り道、蹴っ飛ばせるものは全部蹴っ飛ばした。自分の部屋のすべての子供っぽいものを捨てた。部屋はほとんどなにもなくなり、その部屋に三日間閉じこもった。母親は言った。 「おや、お前が引きこもりかい」と。 四日目に、彼女からはがきが来た。ぼくはすぐに返事を書いた。
ぼくは、その後そこそこ優秀な陸上選手になった。あの日の長距離走がきっかけだったのかもしれない。今は体育の教師になり、最近母校の小学校に赴任してきたばかりだ。校舎は変わり、廊下に立たせる体罰なんかはとうの昔になくなっていた。
彼女とはすぐに音信不通になった。大学の合コンでどうも見たことのある人がいると思ったら彼女だった。僕は言った。 「手紙を渡そうと思ってきたのだけれど」と。 彼女は言った。 「二度とその手には乗らないわ」と。 ぼくらは、ほかの連中を後にして、別の店に行った。そして長くて短い話をたくさんした。 そして話が少し途切れたとき、ちょっとまってね、といい、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出し彼女に手渡した。そこには何も書いてなかったけれどそれでいいのだ。 そして彼女は言った。 「宮崎君大人になったのね」と。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| イエスタデイ(小説) |
「あなたでかけるわよ」 妻はそういった。 日曜の朝は、まだ淡い氷の膜にすべて覆われ、低い陽光が反射した光でまぶしく輝いていた。僕はそれを妻にプレゼントしたかったが、彼女はなんだかわからないだろう。まだ偽者のダイヤモンドの方がましなのはわかっている。しかし自分がどこに出かけるべきなのかが理解できなかった。せっかくの日曜の朝なのにこんな急いで出かけたくはなかった。 「どこへ行くんだい」と僕は尋ねた。 彼女は戸惑った表情を見せた。 「ゴルフ・クラブが欲しいから、ついでにわたしも何かショッピングに行かないかって誘ったのはあなたよ」と彼女は言った。別に何か責めている様子はなかった。 「ああ、そうだった。ちょっと今日は良く眠れず寝ぼけたんだ。それだけだ。さあ出かけよう」ととっさに返答した。 そんなことはひとつも覚えていなかった。家には使いきれないほどゴルフ・クラブがあり、今更買い足す必要があるとは思えなかった。ゴルフ・クラブを買いたかったのではなくて、妻と出かけたかっただけかもしれない。 僕は妻を乗せて車を運転し、郊外のゴルフ・ショップへ出かけた。しかし僕が目指した場所にゴルフ・ショップはなかった。なんかの勘違いかもしれなかい。僕は妻に言った。 「なんだかゴルフ・クラブはどうでも良くなった。君にはわるいんだが、海でも出かけないかい。」と。 彼女は驚く様子もなく答えた。 「あなたがそういうならそうでよくてよ。わたしもあなたが下手なゴルフに、新しいクラブが必要だとも思わないし。ごめんね。あなたがわたしの化粧について思っているようにそうなんだけど。なんだか同じ道を堂々巡りするより、海にでも行くっていうのはいいアイディアだと思うわ」 彼女は極めて落ち着いていた。僕らには問題がある。けれどその問題を直視して無益な戦闘を挑むより、視点を変えていくべきなのだ。彼女は頭がよく、素敵だった。 ぼくは高速道路に乗り、三浦半島の海を見に行った。そこは何度も行った。彼女ともたくさん行った。 高速を降り、は思い出のつまった海岸へ向かった。 馴染み深かった港町もだいぶ変わっていたが、まだある種の懐かしさはあった。ぼくは彼女に愛を告白した海岸へ向かった。ぼくたちはすっかり変わってしまったかもしれないが、彼女の心の中できらめく太陽のような愛を信じた。ぼくは、彼女の周りをぐるぐる回る惑星でしかない。水星かもしれない、火星かもしれない、地球かもしれない。 ぼくは、入り組んだ街路からすっかり抜け出せなくなった。 彼女は寝入っていた。 なんとか海に出た。まったく知らない海岸だった。ぼくはそれでよかった。僕は彼女を起こして降りようと告げた。 僕らは手をつないで海岸を歩いた。 強い風が吹き、僕らはそれを避け、目をつぶった。 砂を払って、僕は彼女の方を向いて、何かしゃべろうとした。 彼女は、全然知らない人だった。年はぼくと同じくらいだった。年のわりにはチャーミングだった。 彼女が僕を見つめるまなざしは優しかった。 彼女は少し微笑んで言った。 「あなたと一緒になってよかったわ」と。 「ぼくもだ」とぼくは言った。 きっと僕らは昨日までとても幸せだったらしい。 でも人生は昨日のためにあるわけではない。彼女が誰であれ、今日から彼女を愛そうとその時神に誓った。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| クロスロード(小説) |
僕は地下鉄の駅を降りた。 WEBでプリントアウトした地図を見て、面接会場の方向へ向かった。A13番出口だった。 地下鉄の天井の案内を確かめながら僕はA13番出口へ向かった。 今日はじめて東京に来た。正しくは何度か友達と遊びに来たりしたが、ひとりで来たのは初めてだった。東京ドームは飯田橋駅からすぐだった。日本武道館は、わかりにくかったが人並みについていったらすぐに行き着くことができた。お台場は、ゆりかもめに乗るために新橋から思ったより歩いて不安だったし、いったいどの駅で降りたらよいのか友人の誰も良くわかっていなかった。 彼女とディズニーランドに行った。それは東京にはなかった。友達の中で彼女とディズニーランドへ行ったのはまだ僕だけだった。けれどディズニーランドはぼくは全然つまらなくて、あまりにはしゃぐ彼女に辟易してしまった。ミッキーマウスの耳つけて馬鹿みたいじゃないか? 彼女とはたぶんそれがきっかけで別れてしまった。僕はもっと大人になりたかったが、彼女は永遠に子供でいたいみたいだった。当然キスもしなかった。彼女は高校卒業するとまもなく結婚したらしい。その知らせを聞くと自分がまだガキのように思えた。 地方の大学でうだうだしていた僕だが、高校卒業して地元ですぐ結婚してしまうような人種のいるところとはおさらばしたかった。ぼくがどの程度さえない人間かはある程度理解しているつもりだが、どんどん寂れていくだけの地方都市で安心感と引き換えに、不利なゲームをする気にはなれなかった。 今日面接に行く会社も決して冴えたところではなかった。大体町の名前も知らないところで、地下鉄しかない不便な場所だ。そんなところに就職したところで友人には自慢にはならない。けれどいいのだ。すくなくとも地元より渋谷に近い。 A13番出口を目指すと、違う路線のホームに出てしまった。僕は多少あせって天井のサインを確認し地図を探した。確かにこっちでいいはずだ。結局僕はそのホームを全部通り抜けることになる。 今度は長いエレベータを下り、また閑散とした通路を歩き、エレベータを上った。しばらくあるくと通路は交差していて、急に人の数が増えた。誰もがぼくより数倍金をかけた格好をしていた。大人の女性の化粧は濃く、男たちは妙に黒っぽい格好をしていた。誰も立ち止まることなく、早足でその地下の交差点を横切っていった。 僕は片隅に寄って、方向を確認し、その動くエレベータみたいな人並みに紛れ込んだ。しばらくすると人並みは消え、僕の靴音だけが響いた。 A13番出口があった。 階段を何度か曲がりながらあがると外に出た。 風は冷たかったが、空は真っ青に晴れ上がっていた。そこは広い交差点で、たくさんの車が往来していた。地図を頼りに銀行を探す。そこらじゅうに銀行がある。すべて似たようなビルばかりだ。コンビニを探す。そこらじゅうにコンビニがある。その地図は何通りにも解釈できた。ぼくはその可能性に優先順位を付けてひとつずつ歩いた。しかし肝心の目標が見つからない。すべての交差点はほとんど同じに見え、もとの交差点に戻るのも容易ではなかった。 結局携帯で電話して道案内をして欲しいとその会社に伝えたら、もう来なくていいといわれた。 僕はそばにあったコーヒーショップに入り、コーヒーを飲み干して、やっと落ち着いた。ぼくはウェイトレスを捕まえて、地図を見せた。彼女は言った。 「これでたらめね」と。
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| ジ・エンド・オブ・イノセンス(小説) |
ばれけらばいい。 僕はそう教わって育ち、決して失敗することはなかった。それなりに裕福な暮らしができるようになり、家族は幸せだ。もちろん、適当に女を作り、面倒になれば別れた。妻だって気づいてはいるだろうが、彼女だって僕と同じ人種だ。僕がばらさない限り何もないのだ。無分別ないい争いなど一度もない。 気の許せる人間が次第に少なくなっていくのは、気にはなったが成功の代償と思えば高いものではない。肩書きが増えるたび、僕の世界は狭くややこしいものになったが、すべて上手くコントロールができた。世界は、純粋なパズルとしか思えなかった。 僕よりおそらく優秀な人間はたくさんいたが、みんな鏡張りの迷路で自分の姿を見たきり、二度とそこから出てくることができなかった。 僕は自分が本当に無価値だと思う。何の愛情も、何の知恵も、何の感情もない。もし僕が軍隊に入ったらとても優秀な人殺しになれたと思う。日本は軍隊がないのでビジネスをやっているだけかもしれない。 僕は何でもできた。お人よしを千人集めて溶鉱炉に突き落とすこともできた。しかしそれは価値のないことだ。無意味なリスクは犯すべきではない。つまり自分からパズルを難しくすべきではない。 パズルを単純にするには、裏切って人を抹殺するのが単純でよい方法だ。ぼくは人を常々否定して優越感に浸ると言うこともない。人は僕を信頼し、より多くの弱点をさらけ出す。そしてどれくらい弱い人間であるかも教えてくれる。僕は適切な時期までよき友人である。 今日は、クリマスイブだった。僕は家族のプレゼントを買い帰宅する。リビング・ルームには大きなもみの木があり、電飾がきらめき、子供たちがたくさんの飾り付けをしていた。 みんなが寝静まった頃子供たちの枕元にプレゼントを静かにおいた。布団をはだけていたが今夜だけは直さず、子供部屋を後にした。 リビングにもどり、ウィスキーを飲みながらまたクリスマスツリーを眺めた。 素晴らしい家庭だ。まるでレゴで作ったみたいな家庭だと思った。赤、黄色、緑、青、白。そのような単純な色でこの家庭はできていた。 妻が起きてきた。彼女は何も言わず、僕の隣に座り、プレゼントはすんだのかと聞いた。ぼくはうなずき、彼女の肩を抱いてキスをした。 すると一番下の坊主が起きてきて目をこすりながら言った。 「クリスマス・プレゼントあったよ」と。 そして続けた。 「僕はずっと薄目を開けてサンタさんが来るのを待っていたんだ。けれど来たのはサンタさんじゃなくて、入ってきてプレゼントを置いていったのはパパだったんだ。」 僕は言った。 「じゃあ子供だましはおしまいだ。サンタはいない御伽噺だ。早く寝ろ」と。 翌日帰宅すると、妻と子供たちはおらず、リビング・テーブルに置手紙があった。それにはこう書いてあった。 「この世はすべて御伽噺よ サンタ」
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| ジ・エンド(小説) |
THE END とスクリーンに映し出されると、館内の人々はざわつきはじめ、ひとりふたりとどんどん席を立ちは始める。 ぼくは、エンディング・ロールを必ず全部見ることにしている。そこに名を連ねる人のうちわかるのはごくわずかだ。けれどいいつかわすれたけれど、昔好きだったミュージシャンの名前が突然出てきたことがあって、それ以来明かりがつくまで、席にうずくまって人の気配が薄れていくのを楽しむようになった。たいてい大げさな音楽が延々と流れる。しばしばメイキング映像や関係ない映像がはいってそれも楽しい。「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のエンディングみたいなものを期待して。 その日のその映画はあまりおもしろくなく客の入りも悪かった。清掃の係りの人たちは、早いとこ客には出て行ってほしいかのように早々と通路をうろつき始めた。たしかにもう客の気配はないような気もする。後ろの方を振り返ると、若いアベックがまだディープキスをしていた。 やがて、幕が閉まり照明がついた。僕は立ち上がり広報のドアに向かったが、アベックはそれでもキスをしていた。二人とも制服だった。そういえば僕も高校のとき試みたことはある。しかし失敗した。そのときの女の子は、何の音も立てずに僕の隣からあっという間に消えてしまったのだ。彼女はお堅い子で、その後謝りに行ったら「そういうつもりで付き合ってたのね」と言った。ええ、いったいどういうつもりで付き合ったらいいのか僕にはさっぱり理解ができなかった。まあ僕が未熟で彼女を変な気分にできなかったのが悪かったのだ。その後、同じ過ちはしなかった。そしていつも「そういうつもり」で付き合い続けた。いろんな女の子と、いろんな風に、いろんなところで。なんて女の子はいい匂いがするんだ。ブラボー! 映画館のドアを出ようとしたところで、走りこんできた人間がぼくにぶつかってきた。ぼくはヘビー級ボクサーにぶっ飛ばされたように床に転んだ。たぶん頭の上に小鳥でも飛んでいたかもしれない。めがねもはずれてしまった。ぼくは床を這ってめがねを探した。度のきつい黒いセルのめがねだ。ようやく見つけ手を伸ばすと、僕の手は誰かの手を握った。 「何するのよ」と女の子の声がした。 「めがねを取ろうとしている」とぼくは答えた。 「これは私のめがねよ」とその女の子は言った。 「そのとおりかもしれない。じゃあ僕のめがねはどこへ行ったんだろう」と僕は答えた。 彼女は、めがねをかけこう言った。 「これ私のじゃないわ。あなたのよ」と僕にめがねを差し出した。ぼくはめがねをかけ、女の子を見た。きれいだった。天子が羽を付け忘れて落ちてきたみたいだった。ぼくは後頭部を金属バットで殴られたみたいにショックを受け、心臓が胸から飛び出しそうなくらい激しく動悸した。ぼくはただ見ていた。その美しい顔を。僕は一瞬のうちに「そいうつもり」になったが、まるで今まで一度も「そういうつもり」になったことがないかのように緊張してしまった。これまでこんなきれいな子に「そういうつもり」になったことがなかったからだ。 彼女は言った。非常に冷徹に言った。 「私のめがね探してよ」と。 ぼくは、いすの下までさがしてそれを見つけた。 「あったよ」と言って彼女に手渡した。 僕らのそばをさっきのアベックが通リすぎていった。腰と腰をくっつけて。 彼女はめがねを至近で確かめて、フレームを動かし、納得した様子でめがねをかけた。めがねをかけても十分きれいだった。天使の受験勉強で勉強しすぎたのだ。ぼくは何で自分が謝らなくていけないのかわからなかったが、習慣と打算の結果 「ごめん」といってしまった。 彼女は言った。 「エンディング・ロール最後まで見てのんびりでてくる人が存在するなんて信じられないわ」と言うと、僕の横を通り過ぎて、すぐにまた戻ってきた。 彼女は言った。 「忘れ物を取りに帰っただけよ。ぶつかったのは私も悪いわ。でも生涯あなたのことは忘れないと思うわ。人生で一番遅く映画館を出てきた人として。」 「君の言うとおりだけれど、君は本当にきれいだ。できたらめがねをもう一度はずして欲しい」と僕は言った。 「あなたがたぶん101人目くらい。そのせりふ。どうしようもない凡庸な男ってあまりに多すぎ。サイテー」 といやみと鉄でできた合金みたいな声で言い放つと、振り返って、僕を後にし映画館を出て行こうとした。 彼女が歩いていくと、彼女のスカートが、だんだんずり落ちていく。ずり落ちていき、足元にすとーんと落ちる。彼女は絶叫する。彼女はスカートをはきなおす。そして振り返り、僕のところに足早に歩み寄って、右手で僕の頬をひっぱたく。 「サイテー」と叫んで。 彼女は涙ぐみながら肩をすぼめて映画館を後にする。 取り残される僕。
ジ・エンド。
主演 僕 助演 彼女 企画制作 僕 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| サムデイ・ネバー・カムズ(小説) |
昨日妻に離婚届を入れた封書を送った。 アパートは、彼女がいないだけで何も変わっていないのに、遺棄された工場みたい冷たかった。どの家具も今や少しずつさび始め、ほこりがたまり、蜘蛛の巣が伸び始めているのだ。蛍光灯は級に消耗し点滅を始める。探し物が見つからない。何を探しているのかもわからない。 彼女はある日姿を消したかと思うと、ただ離婚届を送ってきた。それは予期はしてなかったけれど、心当たりがないわけでもなかった。誰にだって過ちはあり、それが決定的なものであることをあらかじめしることはできない。彼女はぼくと暮すのがいやで、僕もそれほど彼女と暮すことに執着はなかった。僕の執着のなさが、彼女には我慢できないものだったのかもしれない。少し寂しかった。自分がその程度だとわかってがっかりした。 唯一心に引っかかったのは、最後彼女が口にした言葉がなんだったかまったく思い出せないことだった。 「さようなら」とか言ってくれればよかったのに。
そして時間は、不確かな記憶を置き去りにして、進み始める。アパートは家賃が高すぎて一人で住むには無駄だった。彼女の実家に転居する日を書いたはがきを送る。何が僕ので何が彼女のか家財を選別して、荷造りし、転居した。彼女の写真は彼女のものとした。二人の写真ははさみで丁寧に切った。自分の写真は捨てた。
仕事が忙しくて、そのごたごたはただ僕を疲労させるだけのものにしか正直思えなかった。料理をするとき以外、彼女のことを思い出すことはなくなった。彼女は大変料理が上手で、ぼくは料理なんかほとんどできなかったからだ。料理について言えば一人分の食事を上手く作るのが大変難しいことをすぐに理解した。同じものが何日も続く。あるいは一度に食べきれないほどの物を作る。あるいは買った材料を使い切る時間との戦い。そうしているうちに自分が料理を成立させることに彼女の存在を維持しようとしていることなのだということに気づいた。そして料理は止めた。
彼女からはがきが届く。ずいぶんとかわいらしいはがきだった。もう半年が過ぎていた。
******** お元気ですか。 私はなんとかやっています。ちゃんと食事しているかどうかだけ気になります。そういうこといえた身分ではないとおもいますけれど。 わたしは、高宮さんの紹介で別の会社に入りました。普通の事務です。今度その会社の隣の席の人と結婚することになりました。今度は篠原になります。それだけは報告しておかなくてはいけないと思い筆をとりました。 本当にちゃんと説明すべきだと思っていたのですが、私自身混乱して、他の方法が思い浮かばなかったのです。本当に申し訳なく思っています。 今度いつか会えたら説明するよう努力してみたいと思います。 ではお体をご自愛くださいませ かしこ ********
僕らはその後偶然出会うことになる。 だけれども、もう僕はかつての僕ではなく、彼女もたぶんかつての彼女でなく、遠い昔の話をしても曖昧な記憶しかなく、興味の持てる話でもなかった。 彼女は希望したよりわずかに不幸であり、ぼくは何を希望していたのか忘れていた。 ぼくらは、よく足を運んだ場所に行ってみた。しかしそこには高層ビルが建ちなんの面影もなかった。すべてはうち捨てられたものと、リニューアルされたもののどちらかに分類できた。分かれるとき彼女は言った。 「またあってくれる?」 彼女は思い出に関してまんざらではなさそうだった。 「またいつかね」と僕は言った。 けれど僕はそのときまた今の僕ではなくなり、彼女はおそらく今の彼女ではなくなり、またすべての景色が変わっているのだ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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