Someday never comes
躁うつ病患者のプッツンブログ
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インスタント哲学
ある人が言いました。カントでも読もうかな?

「世界平和のために」という本を書いているからだそうですが、それはカントの実践理性批判の誤謬を免れません。

全ての人が欲するとおり、汝の格律となせ
まあ人口100人の村ならね。あるいは全員が盗人の村とか。全員が嘘つきの村とか。
最後のは明らかにカントの実践理性にパラドクスを起こしますね。

カントは読めないですよ。あえて読むのだったら「プロレゴメナ」。
これは純粋理性批判を教科書として自身がまとめたもの。
この認識論が問題にしているのは、最低限時空などのカテゴリーなしに
認識が成り立たないことをしめし、感覚論にけりをつけたこと。
しかしそのようなカテゴリーが理性的に普遍的であるという激しい思い込み
があった。

つまり実在の犬がいるとそれを見て犬と認識するという普通のものの考え
が間違っているということ。始めに犬というカテゴリーがないと犬と呼ばれた
何か動くものがなんだかわからないと、現代哲学では解釈されています。

しかしこのようなカテゴリーは激しく文化相対主義的で、その相対主義を
克服した一部の認識が「科学」と呼ばれます。

カントを直接批判したのはヘーゲルで、カントのあまりに認識論に傾いた
哲学を存在論と論理学の中に取り込みます。
つまり世界は理性が弁証法的に生成された観念にほかならない、という
ちょっと普通は受け入れ難い理論です。

せっかく「生成」という歴史性を哲学に導入したのに、カント譲りの独断的な
理性の普遍主義を捨てなかったため、世界はヘーゲルの頭脳の中の
論理学的ゲーム以外の何ものでもなくなりました。

さてヘーゲルの批判者はマルクスとニーチェです。
マルクスは、大雑把な歴史性と経済学の事実性でヘーゲルの停滞を
打ち破りましたが、最終的な理性的普遍主義をどうも捨てていなかったため
「共産主義における一党独裁」というとんでもない現実を生んでしまいました。

しかし共産主義者であるかどうかに関わらず、経済制度が、政治と文化を
大きく左右するという社会科学的認識を一般化させた功績はマルクスの
ものでしょう。

ニーチェの批判は直接的なものではなく、西欧哲学全般に及ぶものと
現在は評価されています。それは多岐にわたりますが
1.存在の二重化の批判 本質と現象 原因と結果 善と悪・・・
  強いものが悪いということについての禁欲的理想主義は「道徳の系譜」
 という最も教科書的な本にまとめられています。
2.存在の美学化
 1の帰結として、あらゆるものはおよそ気まぐれなものになりますが、
 それを受け入れることが権力への意思であり、同一物の永劫回帰
 と言われます。
1は現代哲学の常識です。あるものはあるとおりにある。2はほぼだれも
受け入れていませんね。
 しかしマジョリティーは2を受け入れないだろうけどマイノリティーは
 実は受け入れる。自分の置かれた運命を誇りを持って受け入れるためにね。

 さて、現代の哲学は言語哲学です。これはカントのカテゴリーを言語の
次元で再構成するものだし、ヘーゲルの弁証法を語の使用の問題の
次元で扱うものです。
 記号学や、ヴィトゲンシュタイン以降の分析哲学は皆そうです。

 記号学によれば、世界は恣意的な「差異」しかなく実態がありません。
 犬らしき動物は、百科事典に乗っている通りにあるのではなくて、
人間や猫やその他家畜とは違うものとして認識されれば十分です。

 さてたとえば男女の「差異」も恣意的な差異しかありません。
それを実態としているのは慣習だけです(それ自身差異の束)。
どのような空想的慣習を考えても差し支えないと思われますが、
慣習を理性的に考える時、人はヘーゲルないしマルクスに逆戻り
するわけです。

「個人」というのはアングロサクソンとフランス人が作ったファンタジーです。
たとえば日本ではそれは良かったかもしれませんが、中東で個人主義的
民主制を実施すると、確実に宗教的原理主義になります。

日本が思い通り自由でも平等でもなかったのは、長い伝統に
培われた慣習が機能したからです。現在は機能していないと思われます。

では私たちはよりより社会を「考える」ことができるのでしょうか?
するとまたヘーゲルまで、あるいはそれより古いカントやルソーやロック
まで戻らなくてはいけないのでしょうか。

グローバリズムは明らかにそれを求めています。それが真理ですか?
単に騙されているだけですよ。そうではなくてグローバリズムが起こっている
ヘーゲルの観念を批判すべきだというのが、哲学的問題だと思われます。

私と言うものは、実際マルクスの言うところの下部構造をなす経済の
自由運動に翻弄されていることをとりあえず受苦する以外にないような。

歴史は止まらないため、えらそうなことは言わないのが身のため。
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