| ぼくはバレーファンではない |
ぼくは実は中学校のときバレー部に入っていた。実はというほどのこともない。何でバレー部には言ったかは定かではない。本当は小学校のときサッカーをやっていて日産の子供向けのレッスンにも行ったほど熱心だったのだが、地元の中学(板橋区加賀中学)にサッカー部がなく、同好会を作ろうとしたが、野球部の顧問に邪魔されてしょうがなく、小学校でバレーボールをやっていた友達に誘われてバレー部に入ったのだと思う。 ものすごくゆるい部活だったのでちんたらやっていたものである。しかし半年ほどで顧問が代わって、大会で勝つと言い出し、ほかの部活から背の高いの引っ張りこんで、全員丸坊主と言い出したため、頭を丸坊主にしたうえでこんなやり方についていけるかといって、顧問を罵倒して退部したのであった。 そのためバレーボールにはそれ以来いい気分を持っていない。なにがアタックナンバーワンだこの野郎!という感じである。 そういえば僕はサッカーが好きだったため、バレーボールのボールを蹴っ飛ばして遊んでいたら先輩にぶん殴られた記憶がある。まあそりゃそうだろうなと若気の至り恥じる。以上僕のスポーツ史のすべてである。 ああ大学のとき女の子とちゃらちゃらするためテニスとスキーはやったが・・・ なんで昔はあんなにみんなスキーに行ったのだろうか。夜行バスで朝ついて滑り出すと言うのは狂気の沙汰としか言いようがない。スキーと言って思い出すのは、当時流行っていたヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」がどこでも鳴り響いていたことだ。まあぼくはこけていたが。ある日、山の反対側の斜面に降りてから宿のあるほうに戻るのにものすごくくたびれて泣きたい気持ちになって、それ以来スキーは行っていない。なんで冬山行くんだよ? ああ、そういえば登山はやっていたな。赤岳と白馬岳しか行っていないけど。一人で行ける自身のある山はそんなに多くはないのだ。山岳会とかうっとおしいのもやだし。やはり3000m級の山は一生に一度は登っておくべきだな。何ゆえ日本人が「山」に宗教性を感じたのかがはっきりわかる。 ちなみにそういう感覚とカリフォルニアのデスバレーの感覚は似ている。ああ、人間なんて所詮この星のよそ者って感じ。しかしそのように若い頃、ぼくは環境問題に非常に心を痛めていたのである。だって3000m級の山小屋にヘリコプターで物資運んだりゴミおろしたりしていると言うのは何ほどか矛盾だろう。そしてデスバレーに車飛ばしていけるのも何ほどか矛盾だろう。そういうわけである日自然を求めるのは自然を破壊することが条件であると言う結論に達し、二度と自然に近づくのやめた。 そういうわけで、ほとんど一切のスポーツはやめた。 またスポーツ観戦は必ずひいきを応援するか薀蓄をたれるかのいずれかなのでこれまたうんざりしてしまった。 スポーツがなくても何ら困ることはない。そういう意味でオリンピックにはすべて反対である。すべて馬鹿げている。勝手な規則作ってその限界で暇を限界まで潰す以外の何ものでもない。 ダルフール紛争問題で北京オリンピックボイコット騒ぎがあったがぼくはすべてのオリンピックをボイコットする立場なので何を今さらと相手にしなかっただけである。 昨日バレーボールを見たのは付き合いで見ただけである。 そのことをブログに書いたらたくさんアクセスを頂戴してしまった。まことに申し訳ない。 スポーツはやるのも見るのも関心がない。映画も関心がない。ほとんど何も関心がない。 そういう意味では基本的に「女のケツ」にしか関心がないのである。 しかし音楽に関心がある理由がよくわからない。たぶん「女のケツ」の所為だろう。最初の音楽的経験は演奏ではなく、中学の物理部で、巨大なスピーカーと高出力のアンプで、ブラウン管をオシレーターにしてレッドツェッペリンかけまくったら、やたら女子にもてるようになったのに味を占めたのだと思う。ものすごい美人の子も相手にしてくれた。まだその頃ははっきり女子にもてるとはいかなることかちゃんと理解していなかったことが悔やまれる。 本当は子供の頃、絵描きになりたかったが、レッドツェッペリンの件で完璧に忘れてしまったように思う。
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