| 雨に濡れても(小説) |
ライブハウスに急いでいると、急に強い風が吹き、太陽を雲がさえぎり、冷たい空気がまとわりついた。ひと筋の雨が降り出すと、その数を増し、歩道は白い歩道は鈍い灰色に次第に変わった。僕は先を急いだが、いよいよ雨の勢いは増した。雷が鳴り、雨はどんどん大粒になって行った。ぼくは諦めて、通りかかった地下鉄の出入り口で雨宿りすることにした。あめのしぶきがそれでもかかるようになった。少し階段を降り、トランペットのケースを開け、水がしみこんでいないか確かめた。大丈夫だった。 出リ口に戻り様子を伺おうとすると、激しい落雷の音とともに女の子が飛び込んできて僕にぶつかった。彼女は傘をさしていたにもかかわらず、濡れていないのは頭のてっぺんだけみたいだった。バッグやらなにやらたくさんの荷物を持って、お気の毒だ。 ごめんなさい、というと傘をたたみ、自分の状況を把握し、パンプスを片足脱いで、たまった水を出した。もう一足もそうした。彼女は両手で身体を抱いて言った。 「ねえ、ひどいと思わない。天気予報はお花見に最適とか言っていたのよ。誰か天気予報を最高裁に訴えたことあるのかしら?それにしても寒くない。こんなびしょびしょだからいけないのかしら」と言って、階段を駆け下りて行った。 僕はタバコを吸いながら、これは異常気象だと思った。異常気象はすべて地球温暖化の所為だとニュースは言っていた。もちろん地球温暖化については何も知らない。地球温暖化というのは何でも説明できてよい考えだと思った。たぶん教育の崩壊も地球温暖化の所為だろう。まあ神か悪魔に近いもののような気がした。 気がつくと、足元には彼女のものと思われるヴィトンの大き目のバッグが置き去りにされていた。雨のしぶきがかかるので、僕は手に持って保管してあげることにした。 雨は、殴りつけるような状態からスコールのような軽やかな調子に変わったが、だからといって何の展望も開けたわけではなかった。 彼女が戻ってきたので、バッグを渡した。 彼女は不審そうな目をして、バッグの中を調べ始めた。 「何もしてないよ。雨に濡れるから、もっていてあげたんだ。他人のバッグを持っているなんて変だとは思うけど、この場合最善の策だと思ったんだ」とぼくは、自分で問われもしないいい訳をした。 「親切ね」と冷たい雨のように彼女は言った。 「着替えたのかい」と僕はその言葉を無視して言った。 「さっき買ったばかりの服よ。素敵でしょう」と彼女はくるりと一回転して見せた。ニットのアンサンブルでトリコロールのラインが入っていた。 「君は素敵だし、君の服も素敵だし、どっちが素敵かよくわからないな」とまあ女の子なら文句は言わないようなストック・フレーズを言った。 「あなたいきなり女をくどく人なの?イタリア人か何かなの?」と彼女はまんざらでもない顔をしながら憮然として言った。 「くどいちゃいないよ。ただのシンプルな事実だけを言っただけさ」とまたストック・フレーズを使ってしまった。 彼女は僕の黒いケースを見て言った。 「何か演奏するの」と。 「トランペット」と僕はもっとシンプルに言った。 「へえ、じゃあ雨がやむまで何か吹いてよ」と彼女は言った。 「やだよ、こんな雨に濡れる場所でなんか」ともちろん断った。 「へえ、どうせ何とか音楽教室通っているだけでドとソとファとシの音が出ないんでしょう」と彼女は節を付けて言った。 「じゃあ、もう少し雨のしぶきのかからないところまで降りたら吹くよ」といいながらケースを開けた。 ぼくはそのクラリネットの曲を短く吹いた。 「上手じゃん」と彼女は晴れ渡った青空のような笑顔で言った。雨は少し小粒になっていた。 「これからライブハウスに行くんだ。時間に間に合わなくなっちゃうよな」と僕はトランペットをしまいながら言った。 「大丈夫よ。この雨なら誰もライブハウスなんか行かないわよ」とチェックメイトしたみたいに言った。 「なるほど、でもリハーサルがあるんだよ。まあしなくてもいいけど」僕は練習が嫌いだったので、ずっとこのこと油を売っているほうがいいような気がした。 出入り口に戻り確かめても雨はずっと尾を引いていた。これくらい長い拍手をもらえるようになりたかった。僕が演奏しても真夏の粉雪程度の拍手しかなかった。 タクシーが視覚に入った。僕は真夏の粉雪のためにタクシーに乗ろうと思った。運よく空きだった。タクシーを捕まえながら彼女に言った。 「君も乗りなよ」と。 ぼくは彼女を押し込み、行き先を告げた。リハーサルの時間はとうの昔に過ぎていた。ライブ・ハウスの前に到着すると適当に大きなお金を払って彼女を残してタクシーを降りた。 ライブ・ハウスの階段を駆け上がると、リハーサルの最中だった。みんなは演奏を中断した。リハーサルに飽きていたのだ。するとベーシストが言った。 「お前彼女連れてきたのかよ」と。 振り返ると彼女が立っていた。彼女は多少照れ笑いをしながらバンドのメンバーを見回し、大きなワインドアップ・モーションをつけながら僕に言った。 「ねえあんた大事なトランペット忘れてるよ」と。 僕の手には彼女のヴィトンのバッグがあり、彼女の手にはトランペットのケースがあった。 「私帰るからなんか演奏して。せっかく来たんだから」と子供のように彼女は言った。 ぼくは「雨に濡れても」を吹き始め、バンドがそれに従った。 結局彼女は、今日からジャズが好きになったが、僕を好きになったわけじゃないと言い、夜中まで飲んだ。 まあ真夏の粉雪みたいなものだ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ピンボールの魔術師2007(小説) |
卓雄は、お客が店に忘れていった雑誌をパラパラめくった。相変わらず、フルカラーの印刷でどこかにあるパラレル・ワールドの写真が掲載されていた。金の使い道に困っている連中は、金を使った末さらに金の使い道がないのでもっと金の使い道が紹介されているこんな雑誌を必要とするのだろう。金はパラレル・ワールドをぐるぐる回り、たまに環境問題に憂慮した。キャデラックに乗ってロハスな生活。クソだな、と卓雄は思った。 中ほどのページに、ピンボールがひそかにブームという記事を見つけた。店は六本木とかそこらにあり、ダーツブームを脅かしているとか。お客が集まってピンボールの点数を競い合うのだと。もう機械は古くなったが、極小メーカーがメンテナンスをしていて、そのメーカーの社長は愛情だけでその仕事をしているのだと書いてあった。またヴィンテージもののピンボール台のコレクターのインタビューも乗っていたが、稀少品なので自分は触らないのだといった。どの台もアメリカの時々のB級映画をデコライズしたみたいなものばかりだった。まあ怪獣のフィギュアのコレクションよりはまだ心和むものがあった。 実は店にもピンボール台はあり、かれこれ10年以上触っておらず、ただ場所をふさぐデコレーションでしかなかった。卓雄は、雑誌のメーカーに電話してオーバーホールを頼むことにした。 数日がメーカーの技術者が来て、オーバーホールに取り掛かろうとした。技術者は、貴重な台ですね、コレクターならきっと高く買いますよといったが聞かない振りをした。そしてオーバーホールの要領について説明した。単純だったが、ひとつ難点があった。ハイスコアがクリアされてしまうということだった。そのハイスコアをたたき出したのは古い友人で、ちょうどそれが使われなくなってから音沙汰がなくなってしまった奴だった。 卓雄は、その点数をメモし、オーバーホールしてもらった。 それから毎日卓雄は、ピンボールマシーンに向かい、ひとりハイスコアを上げた。全然メモした点数にはとどかなかったが、来る日も来る日も玉をはじいた。そしてとうとうMAXも夢でないほど腕を上げた。 あと3000点で、過去のハイスコアまで達しようとしていた。そのとき玉をはじき出すことができなくなった。ピンボールマシーンではよくあることだ。卓雄は、重たいピンボルダイをゆすったり持ち上げたりして衝撃を与えたが、直らなかった。 諦めてバーボンを飲みながら、タバコを吸っていると、引っかかった玉が急に飛び出し、ボード上で音と光何回か発して、最後の点数が入った。 タバコを消し、台を見に行った。 それは友人のハイスコアとちょうど同じ点数だった。 卓雄はもう一度やろうとしたが、そのピンボールマシーンは二度と動かなかった。 その後達夫は毎日その動かなくなったピンボールマシーンを磨いた。二度と輝かない自分や友人の栄光のために。
「ビンボールの魔術師」収録映画 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| イエスタデイ・ワンス・モア(小説) |
「またであったときからやり直せればいいのにね」と直子は言った。それはバーのBGMにカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が流れているのに気づいて、何気なく言った言葉だった。 「俺もそう思うよ。ところで春美、これCD?それとも有線?」とカウンター越しにいたバーのアルバイトの春美に辰巳は尋ねた。 「ええとね」と言いながら春美はオーディオ機器に目をやって答えた。 「有線よ?で何この甘ったるい曲」と春美は、ミツバチが「オーマイガー」と叫んでいるような顔をして言った。 「お前年いくつだよ」と辰巳は聞き返した。 「ニジュウサンの振りしたニジュウロク」と春美はテレビで仕入れたジョークを言ったが、辰巳も直子も26なのか23なのかわからなかったし、二人にしてみればたいした違いはなかった。 辰巳は有線局に同じ曲をリクエストするように頼んだ。辰巳と直子が、カウンター席のしたで足をぶらぶらしているうちにまた「イエスタデイ・ワンスモア」がかかった。 辰巳と直子は昼に離婚届を一緒に出しに行き、レストランで食事をした後、デートスポットのひとつだったこの店に来たのだった。オーナーは変わっていないが、店員はどんどん入れ替わった。昔は、ジャズ・バーで凝った店内はまるで異国だった。しかしオーナーは別にジャズ狂だからジャズ・バーをやっていたわけではなかったので、ジャズ狂達が金儲けに奔走して店に来なくなるようになると、さっさと店もカジュアルにし、客足を遠のかせないようにした。まだジャズ・バーだった頃「イエスタデー・ワンスモア」なんか流れたら戦争が起こったであろう。そんなものは文化革命の背信であり、日和見主義者の産物であると確実にみなされた。 辰巳は「革命」はどこに行ったのだろうかと思って、今度はビートルズの「レボルーション」をリクエストしてみた。しかしかかったのはそれからずっとカーペンターズばかりで、たまにビートルズも混じったがそれは「イエスタデイ」だった。そしてだいたい5曲に一回は「イエスタデー・ワンス・モア」だった。 春美は辰巳に向かって、辰巳の耳をひねるように言った。 「ねえ、もう昨日のことはどうでもいいでしょ。悪いけどわたし胸がむかむかするの。有線のチャンネル変えていい?」と。 「ああ、なんか悪い夢を見ているようだ」と辰巳が言うと直子も続けていった。 「まったく寝言みたいな曲ばかりね。すっかり冷め切っている私達には、戸籍欄のばつ印を砂消しゴムで消しているように思えてくるわ」と。 春美は適当にチャンネルを適当に変えた。 店に鳴り響いたのは「アナーキー・イン・ザ・UK」だった。それもただ懐かしいだけだった。それを聴き終えると、直子と辰巳は彼らの過去をすべてアメリカン・エキスプレスで清算し、店を出て二度と会うことはなかった。
テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| サハラでお茶を(小説) |
彼女が突然僕の前から姿を消してしまってから丸一年経過してしまった。彼女が元気なのは間接的な情報で確かだったし、押しかけて彼女を問い詰めることも難しくはなかった。 けれど何も言葉を残さず姿を消したことについて、後から何か理由を聞いても、よきにつけあしきにつけ、上手くできた伝説くらいの意味しかないと思えたので、そういうことはやめようと思った。彼女がいないととても寂しく、彼女を探し回って歩きつかれ、夜空を見上げたとき、流れる雲が明るい月をさえぎっていくのを見て涙であふれた。 涙をぬぐうと記憶も消えた。人は自分の都合で記憶を変えられる。ぼくはまだ若く人生に対する自信を失ってはない。彼女なんか、交差点ですれ違った女の子の一人でしかないと言い聞かせ実際そのように思えるようになった。 けれどそのように現実を偽ることを覚えてしまうと、今度は現実が僕を偽るようになるように思えてきた。もちろん地球は自転し、電車は動き、会社の同僚は間抜けで、渋谷は遊園地のように混雑していた。しかしぼくは誰かが僕に何か話しかける言葉にものすごく違和感を感じるようになった。話の語尾に誰にも聞こえないような一瞬の含み笑いが聞こえるのだ。 ある日行きつけのコーヒーショップでカウンターマスターと話をしていると、マスターははっきりと含み笑いをした。 「おいマスターその言い方は何だよ」と、ぼくは自分でも意外なくらいの強い怒りをこめて言った。 何だその言い方は、とか言い合いになり、僕はその店のあらゆるものを徹底的に破壊した。どんな含み笑いも出現の余地のないほど徹底的に。そしてマスターの顔からもどんな含み笑いも消えた。もちろん僕は逮捕され、罰金刑を食らった。会社も首になり、せいせいした。 ぼくはまたいろいろなところで生活をしたが、最終的に同じことをどんどん短いサイクルでコーヒーショップの破壊を繰り返すようになり、懲役刑を食らった。刑務所の生活は辛かったが、どんな含み笑いもなく、とてもすがすがしかった。 刑務所を出るとき、彼女が迎えに来ていた。 「やあひさしぶり」と間の抜けた声をかけた。 彼女が乗ってきた車の運転席に乗り、シートベルトをかけて言った。 「お茶でも飲みに行かないかい」と。 「お茶くらいならね」と答えた。 僕は何も言わず、彼女も何も言わなかった。僕は途中で貯金を全部下ろし、ハイウェイに乗り、成田まで行き、切符を二枚買い、そのままサハラ砂漠に行って、二人でお茶を飲んだ。 もし僕と彼女だけなら何も問題はないのだ。 彼女は楽しげに含み笑いをしたが、ぼくはとても楽しかった。 そして彼女を砂漠に置き去りにして、一人帰国した。 彼女は今何を思っているのだろうか?人を置き去りにすることについてどんな風に思っているのだろうか?本当に彼女なんていたのだろうか?そして不況は厳しく再出発は大変だったが、少なくとも意味のない含み笑いが僕を悩ますことはなくなった。 もちろんぼくは人に意味のない含み笑いをするような、宇宙人に乗っ取られた人間ではない。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ベスト・オブ・マイ・ラブ(小説) |
彼女は僕がどれくらい彼女を大切に思っていないか、足取りのおぼつかない言葉でしゃべり続けた。彼女は、僕が家事を手伝わないから不満なのだと言った後に、単に手伝わないと言うだけではなくわたしたちの生活と言うものを大切にしていないのだと言った。ぼくは、洗濯と掃除はしたし、朝のゴミ出しもした。確かに手のかかった料理はしなかったが、というができなかったがなんとかその場しのぎの料理はした。けれど僕が料理教室に通えばすむと言う問題なのではないのは当たり前だった。 彼女は自分だけを愛しているか盛んに、まるでゴールデンタイムのCMみたいに僕に確認した。そうだ僕は彼女と楽しんでも言いのだが広告主は必要なのだ。愛というのはそういう種類のものかと思った。 僕はほかの女に手を出しはしてはいなかったが、彼女と心中する覚悟はなかった。心中する覚悟がないと人を愛せないと言うのは相当な誇大妄想だと疑い始めた。そんな話し合いが3週間くらい続いて、彼女はただのうっとおしい蜘蛛の巣の女王に成り果てた。 僕は仕事を早く切り上げて、ずっとレシピを研究したご馳走を作りにアパートに帰った。これは僕のアリバイ作りなのだろうか、愛の証なのだろうか、判然としなかった。 彼女の携帯にメールを入れておいた。彼女も機嫌がよく仕事から帰ってきた。スパークリング・ワインを開け、別に何の記念日でもないが僕らはとても楽しい夕食をともにした。夕食が終わると、しばらく沈黙が漂い、彼女はめそめそ泣き始めた。今度は自分が悪いのだと言い始めた。 「なあ、いいとかわるいとか言葉で片をつけるのは政治評論家に任せろよ。僕らの間に、評論家が必要なのかい。はっきりいうけれど、君の思考は混乱しているよ。なあいいからこっちに来てセックスしようぜ。お前はそれだけの女なんだから」というと彼女は、僕に襲い掛かって服を剥ぎ取った。 これは歴史的事実であって、ぼくは彼女を性欲の捌け口にしていたのか、本当に愛した上でセックスしたのかは、解釈の問題であった。 一ヵ月後彼女の会社から連絡があって、彼女の精神状態が不安定だという知らせを聞いた。ぼくは彼女を精神科に連れて行き、うつ病であると聞いた。原因は何ですかというと、ある種の人間は同じ原因でうつ病になり同じ原因でうつ病にならないから何でも理由になるし、何も理由にならないとも言った。原因は取り除けないが、ちゃんと治療する方法はあるといった。 医者の指示に従い、彼女を十分休養させ、薬を欠かさず飲ませた。まもなく彼女は会社にも復帰できるくらい元気になっただけでなく。 愛とは何かについて、問い詰める悪い癖もなくなった。 テレビでは国を愛する心と歴史認識について討論をくどくどやっていた。原因は取り除けないが、治療はできる、と精神科の医師は彼らに忠告すべきだと思った。 桜が満開になり、日曜日、ぼくらはあまり知られていない桜の名所に出かけ、ものすごくゆっくり散歩をした。子供たちは舞い落ちる桜の花びらを空中で捕まえようと、飛び回っていた。僕は彼女に子供たちをどう思うか聞いた。 彼女は僕を抱きしめ、時間が止まったようだった。 桜の花びらは舞い続け、僕らは桜の花びらの山に埋もれ、その中でキスをした。子供たちに見られないように。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ザ・ラスト・ワルツ(小説) |
僕は、ベッドに横たわって壁の見続ける暮らしを続けていた。ラヂオは日本軍が各地で多大なる戦果を挙げ、連合軍を脅かしていると絶え間なくがなりたてていた。もちろんそんなことはないのはここでは常識だった。ここは傷病兵の病院で誰もが惨め極まる最前線から運よく帰還させられたものたちばかりだったからである。 病院の将校は、僕らが愛国の精神に欠けるから満足な軍人としての勤めを果たせないのだと、巡回のたびに言い続けた。満足な食料も弾薬も援護もなしに愛国精神だけで戦争ができると言うのが、国民の常識と化していた。腹が減るのも愛国の精神で何とかできた。怪我はまあ本人の所為であるといわれてもしょうがないと言う部分はなくはない。けれど鉄砲玉が飛んでくるのをよける練習なんか誰もしていなかった。 僕らは、鉄砲玉も食料も尽きて、白旗を掲げて、敵前に踊りだすことを最後のワルツと呼んだ。愛国精神に足が生えたような軍曹に気づかれずそれを決断することは非常に困難だった。日本軍の兵士は、大変勇敢で、あるいはものすごく臆病で仲間から離れることが出来なかったからである。死ぬのは仲間と一緒がよいとみんな考えていた。ぼくは、東北の貧乏な百姓の次男三男たちとともにこれ以上追い詰められるのは嫌だったので、最後のワルツを踊ることに決めた。夜明けを待った。足に巻いていた三角巾をはずして、すでに用意してあった木の枝にくっつけ、軍曹に気配を悟られぬよう、緩衝地帯である小川の川原へ飛び出し、敵に向かって白旗を振った。 背後で自分の名前を呼ぶ声がし、背中に熱い衝撃を受け、倒れこんだ。ぼくは崩れ落ちながら、姉の顔を思い浮かべた。父も母もいなかった。記憶にない父や母は僕を迎えに来てくれるだろうかと思いながら気を失った。 結局、別の小隊によって僕は助けられた。運よく部隊が移動中で、部隊の手で本土に傷病兵として帰還させられた。 天皇の声をはじめて聞いた。ぼくは天皇が入ることについてさえ懐疑的だったので、それが一番驚いた。天皇は、大日本帝国憲法が作り出した御伽噺だと思っていた。何を言っているかよくわからなかったが、みんなでこそこそ話しているうちにそれが日本軍の敗戦を認める放送であることがわかった。 病室にいたぼくらは、みんな立ち上がり、万歳した。みんな怪我が治っていない振りをしていただけで全員元気だった。もう怪我人のまねをする必要はなく、また前線に贈られる心配もなくなった。 その騒ぎの声は、病院のそこらじゅうで起こって病院の建物を揺らした。将校や軍曹は、病室を駆け回り、お前ら非国民が、と怒鳴り散らした。 ぼくらは男ばかりだったが両手をつないでワルツを踊った。看護婦さんも一緒なってワルツを踊った。輪を描いてワルツを踊った。 バカモノ!と叫ぶ、将校を輪の中に入れてワルツを踊った。将校のけつを蹴りながら、将校の背中を蹴りながら、将校の頭を松葉杖でぶっ飛ばしながら、将校のズボンを下ろし、将校のシャツを剥ぎ取り、水をぶっかけながら。そいつは病院で一番重症の患者に変わった。血まみれの裸の男が何であるかはどうでもいいことになった。 ぼくらは天皇陛下万歳と叫びながらワルツを踊った。 戦争が終わると日本は無残なものだったが安堵の空気で包まれていた。ぼくは少しばかりかじっていた英語で進駐軍関係の業者にもぐりこむことが出来た。しばしば進駐軍の慰安施設へも出入りできた。 アメリカの女に手を出すとひどい目にあったので、初めはおとなしくしていた。けれどだんだん顔なじみが増えて、相手をしてもらえるようになった。奴らは、こちらが武器を持っていなければやけにいいやつばかりだった。 ボール・ルームは週末でごった返していた。みんな酔っ払い何かわめいていた。食い物も酒もふんだんにあった。ワルツが流れ僕はいつの間にか白人の女と踊っていた。白人の女のおっぱいはでかくものすごくどきどきした。そしてそれがワルツを踊った最後の機会となった。
僕はもうすぐ死ぬだろう。四肢が意のままにならず、食事ものどをよく通らなくなって、寝ているのか起きているのかわからなくなっていた。ぼくはできるだけのことを、息子の嫁に書き取らせていた。何か言い足りないことはないかと思いながら、その話は聞きましたよと、何度も言われた。 戦争が終わったときは、未来なんかなく、すべて捨て鉢だった。けれど妻ができ子供ができ孫ができ、まるで普通の人生を歩むことになるとは思っていなかった。僕の自由意思は戦争で破壊され、残骸として生きただけである。 僕の子供たちや孫たちはゼロから生まれたといって過言でなかった。 つけっぱなしのテレビでは、愛国心について若造が物知り顔でしゃべっているようだった。くだらない。 なあ、もういいだろう。僕は眠るよ。静かにしてくれ。ほら天子がワルツを踊っているだろう? テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| メッセージ・イン・ア・ボトル(私小説) |
湘南の海岸沿いの道をドライブした。 車は、ものすごく古い軽自動車で、ピカピカの車たちにあおられながら、石ころだらけの山道を登っているかのようにうなり声を上げながら走った。それ以上のでかい音でハイウェイ・スターをかけたいた。ガソリンが空になりなりそうになっていたので、ガソリン・スタンドに車を入れた。 音楽切っていいですか、とスタンドの男は言った。彼の声はなんかいまいましい雑音を切るように催促したような非難がましいトーンをしていた。僕もディープ・パープルなんか聞きたくはなかったが、数日前乗せた友人がそのCDを忘れていったのだった。けれどがたがたの車にはちょうど言い音楽に思えた。 ガソリン・スタンドから海岸へ降りられた。僕は彼女に声をかけて海に出た。 風が少し強かった。波頭が立ち、僕らは砂粒を避けるように目を覆った。日差しは暖かかったが、人はほとんどいなかった。ぼくらは少し不幸な最後の楽園にいるような気持ちになった。 彼女は、浜辺に打ち上げられた瓶をひとつ拾い上げた。サンダルを脱いで、波打ち際に入って打ち寄せる波でそのブルーの首の細長い瓶洗った。そんな彼女を見ながら、ぼくも何かいいもの落ちていないかと波打ち際へ言った。スニーカーはずぶ濡れになった。そのスニーカーは、だいたい軽自動車と似たり寄ったりだった。 僕はピンク色の小さな貝を見つけ拾った。同じような貝を探し続けた。ピンクの色の違いはさまざまだったが結構見つかった。 彼女は、瓶を、一輪挿しにするのだと言った。ぼくは彼女から瓶をもらった。どこかよくわからない言葉何か書いてあった。たぶんメーカーの名前か何かなのだろう。太陽にかざすと太陽は憂鬱になった。ぼくは、君にプレゼントあげるよと、さっき集めた貝殻をその瓶につめた。中には入らないものもあったが。 彼女は、瓶を返されると、逆さにしてそのプレゼントを出そうとした。ほとんど出して、彼女はとてもきれいだと言って喜んだ。 どうしても1枚だけ出なかった。何度ふってもカラカラおとを出すだけで、彼女も諦めた。 それがたぶん本当のプレゼントなのだろう、と僕は思った。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| 傑作を書くとき(小説) |
彼女とDVDを見ていた。もう半年あまり彼女と暮らしている。彼女はしょっちゅうDVDを借りては長い時間見ていた。その合間に、ポテチを食べたり、僕と話をした。映画やコメディーの5本に1本はとても面白かった。5本に3本は流れていても別に気にもならなかった。5本のうち最後の1本は僕の破壊衝動をかきたてるような内容だった。ぼくは一人暮らしをはじめてから2回テレビ受像機を破壊している。ギターも3本破壊している。それはピート・タウンゼントにはかなわないことだが、ソリッド・ボディーのエレクトリック・ギターを破壊するのは容易なことではないからだった。そのうち1回はギターでテレビを破壊した。彼女は僕のこの衝動を知らない。なぜなら彼女は陽気で優しく、くだらないDVDを見ている彼女の姿がひとつの心温まる映画のようだったからだったからだ。 ぼくは、いくつものバンドを掛け持ちして音楽活動をしていたが、どれもパットしなかった。彼らの脳内には、上手い、そっくり、オリジナルという概念はあっても、聴く人の耳を喜ばすという観念はなかったからだ。 ぼくは、もうそろそろ音楽なんか才能ないからやめようと思っていた。僕は人の耳を喜ばせたかったが、観客はチンパンジーのダンス方がお好みのようだったし。チンパンジーには悪いが。猿回しの弟子入りでもしようかなとテレビドラマを見て思ったりしていた。 ぼくは、新しい曲の歌詞を今夜中に書かなければならなかった。いろいろ時間が取れずどうしても妙なタイムリミットが出来てしまったのだ。 ぼくは彼女の姿を眺めながら、たくさんの歌詞を書いた。歌詞などは確率の問題で、たくさん書けば使えるものが出てくる可能性が高まる。しかし、その分自己嫌悪ももっと深まる。ぼくはタバコを買いに行くと言って散歩に出かけた。彼女はぐじょぐじょに泣いていたので、声を震わせながら、悪いけど牛乳切らしているからついでに買ってきたと言い、さらに大声で泣いた。女が死にそうだというそれだけの映画である。 散歩は、足のためならず。 散歩から帰ると、彼女は漫才のDVDを見ながらげらげら笑っていた。さっきの映画どうだったというというと、すごくよかった、と答えた。 映画の女は死ぬが、残した子供が交通事故に会いそうになったとき現れて子供を救う姿を夫が見て、女が男に微笑むというエンディングだったそうだ。彼女は幽霊を信じるかと尋ねた。 「君の幽霊ならどんな意味であれ信じるよ」と答えた。幽霊一般については何も意見がなかった。 彼女はそれをプロポーズと勘違いし、ありがとうと言い、翌日婚姻届を提出した。 その後彼女が妊娠するまで彼女はDVDを見、僕は新しい仕事について考え続けた。その間たくさんの詩を書いた。猿回しにはならなかった。傑作も書かなかった。そして子供が生まれた。猿みたいだった。 それでいいじゃないか。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ユー・アー・ザ・サン・シャイン・オブ・マイ・ライフ(小説) |
心の影は次第に広がる。 僕は僕の心の中に入り込み、その影と戦うことを決めた。心の中はとても退屈で、果てしなく続くあらゆる繰り返しの映像で満ち溢れていた。時折こころの持ち主の運命を変えかねない絶世の美女が彼に微笑みかけたりするのだけれど、こころはそれを何かそれに似た平凡な風景にすぐに置き換えた。こころは美しいものに魅入られるより、こころに隙が出来ることを避けているかのようだった。心の職人は心に何も起きなかったことにするべく、こてを取り出し、美しいもの、醜いもの、驚くこと、残酷なこと、すべてを灰色のパテで塗り固めた。 そういうわけで僕は心の影を探すことが非常に難しかった。 心の中では喫煙は絶対禁じられていて自動販売機なんかなかったが、その一方丸裸の女性がしばしば闊歩しており、何か間違っているような気がした。ぼくはその中の一人に尋ねた。 「いい天気だね」馬鹿げた質問だった。 その女の子は何も目して語らず、僕を誘惑するまなざしだけを残して消えてしまった。それと同時に心は激しく揺れた。どうもこの心の持ち主は、つまり僕なのだが、スケベでシャイだった。確かにそうだ。 次の女の子に違う質問の仕方をしてみた。 「いくらなら付き合ってくれるか」と。恥知らずだな。 「消費税込みで1万8千円」と言った。それは非常に安かったが、そんなに安いのは何かわけがあると思った。彼女は気に入った新しいワンピースを買う値段を言ったのだった。彼女はもっと利潤のことを考えないのかと尋ねたら彼女はそういうことを考えると売春になると言った。それは正しい意見のようにも間違った意見のようにも聞こえた。ぼくは今度会ったらそのワンピースかってやるからどっかいけよと言うと、彼女は言った。 「ばーか、どすけべオヤジ、気取ってんじゃないわよ」と。 まあ、確かにそうであったので、心の世界は揺れ動くことはなかった。 退屈の限りを尽くして、ぼくはその世界をくまなく歩きつくしたが、心の影なんてさっぱり見つからなかった。心の持ち主は何か勘違いをしているのだ。彼は、退屈だがとても健康な生活をしており、心の職人たちはまじめに仕事をしているのだ。 声がしたので振り返ると、昔付き合った小枝子がいた。彼女は言った。 「相変わらずね」と。 たしかに彼女の言うとおり相変わらずだった。僕は冴えない人間であり、人を絶望のどん底に突き落とすことはない程度に無責任であり、しかも人並みにスケベで、もしすべての条件が同じなら美人を好んだ。条件がわからず、美人を好むのは勇気が言った。それはたぶん蜃気楼だと思っていたからだった。 小枝子は、申し分なかったが、僕が一時期世界から本気で逃亡したくなって、1年ほど放浪生活をしたきり、離れ離れになった。 放浪生活では、ホモのオヤジにだまされそうにもなれば、土砂降りの雨でずぶぬれになって泣いたこともあれば、食べものをくれたり、車に乗せてとんでもない山道を越えさせてくれる人や、一晩泊めてくれるとても親切な人たちにもであった。世界に中心はなく、小さな世界が点在しているだけだった。もちろんそれは放浪者の視点であり、その小さな世界にも心の影はあったのだろうけれど、それに気づくにはその頃は子供過ぎた。 小枝子を捨てたつもりはなかった。小枝子自体ぼくに執着があるとは感じなかった。彼女はその頃は蜃気楼のようだった。小枝子は言った。 「わたしはずっとあなたの心に住んでいるのだけれど気がつかなかったの?」と。特に明確な答えを期待しているようには聞こえない。 「そんなことはないとおもうけれど」とぼくはいつものように曖昧に答えた。 「ぼくはすっかり鈍い人間になって何も感じなくなったんだ。たぶん君も含めてね」と。 彼女は言った。 「あなたはすっかり勘違いしているの。あなたは全然鈍くなんかないわ。あなたはただ逃亡したきり本物の世界に戻って来れなくなっているだけなのよ」というと彼女は僕の手を引いて、行くべき道を歩み始めた。 ぼくらはとても長く歩いた。のどが渇いたがコンビにも自動販売機もなかった。だいたいお金を持っていなかった。 街はは途切れ始め、さびしいうち捨てられた家を横切りながら、僕らは果てしない塩の砂漠へ出た。彼女はなおも僕の手を引きゆっくり歩いた。僕の心の中で僕はのどがひりひり渇いた。水のためなら魂を売りたかったが、心のどこに魂があったかわからなかった。どうせならまずそれを探すべきだったと悔やんだ。やがて山のようなものが視界に入り、それは歩みにしたがってどんどん大きくなっていった。それは大きな門だった。 その門にはこう書かれていた。 「我解放さるべし」ととてつもない大きな字で。 僕は彼女の手を引いてその大きな門の下をゆっくりくぐった。その門の下ではいろいろな音楽が鳴り響き心を奪われた。やっと門の外に出たと思うとそこは光に満ち溢れた緑の世界だった。 僕は小高い丘の上で彼女の肩を抱きながら口笛を吹いた。口笛は下手だったが気にしないことにした。彼女も口笛を吹いた。彼女の口笛はとても上手く清らかだった。彼女の口笛に合わせて風が鳴った。それはもっとも静かな音楽だった。 ぼくは太陽の温かい光に包まれ、彼女を強く抱きしめた。するとぼくはその心の旅から自然に帰還した。 門の向こうの退屈な光景こそ心の影だった。影の世界は暗くなく灰色だった。影の中は安全を装った牢獄だった。ぼくは明るい世界で胸を弾ませることを恐れていた。 僕は彼女を探した。彼女がいればぼくはもう恐れるものはないだろう。彼女は僕の心の太陽なのだから。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| サムシング(小説) |
朝ジョギングをしていると、左目に何かが入った。立ち止まってしばたいたが、それは取れなかった。違和感はあるものの痛みはないので、とりあえず目をこするなどせず、そのままジョギングを続けた。ジョギングをしている間何か変だった。ものすごい乱視になったようだった。ものがひどく二重に見えた。さっきの奴のせいに違いなかった。しかししばらくすると慣れないでもなかった。家に帰ったら眼下に以降と思ったが日曜だった。明日眼下に行くことにした。 薬屋に行き芽の洗浄液を買ってよく洗った。そいつは取れなかった。このまま死んでしまうような不安に襲われたわけではないのでなるべく気にしないようにした。 缶ビールを飲んでそろそろ昼かと思い時計を見るとおかしかった。針がずれていた。軸はずれていなかった。ぼくは時計を見つめながらいろいろ考えた。右目で見たり左目でみたりして何が変なの比較したら、秒針が約6秒ずれて動いているのがわかった。 それが困ったことなのかそうでないのかまた考えて見たが、結論としてたいしたことはないと判断した。何か困っても時計が遅れていたと弁解すればいいと思ったからだ。実際問題として、巨大なコンピュータシステムでもない限り6秒の違いというものは問題ではないだろう。ぼくはコンピュータの中に組み込まれているわけではないし。 しかし6秒遅れているのではなかった。僕はジョギングで汗をかいたままそんなことを考えていたので、体が冷えくしゃみをした。 くしゃみが起こる6秒前左目は、目を閉じていた。右目はくしゃみと同時に目を閉じた。頭の中がこんがらがった。ぼくは右目を閉じ左のほっぺたを引っぱたいた。すると自分の手が左のほっぺたを叩くのは見えたが、痛みはその6秒後にやってきた。ほぼ確実だ。左目は6秒前を見ている。 この問題は医師に告げるべきではないだろうなと思った。マンがである。いやあるいは何とか症候群というものがあるのかもしれない。しかし普通右目でものを見ていることがわかったので、その確信さえ持っていれば日常生活に支障はなかった。左目で見て公道を歩いたり、運転したりすると致命的な場合があると思った。気をつけなくてはいけない。 ぼくは1週間その微妙な予知能力をひそかに楽しんだが、大して面白くなかった。6秒というのは人の運命にはほとんど関係のない時間の単位だった。スポーツ選手にとっては大事だろうけれど。だんだん慣れてそういうものだと思いほとんど忘れるくらいになった。もちろん毎日目の洗浄はしていたし、右目ばかりに負担がかかってどうも右肩の肩こりがひどくなったのだけれど。 週末、彼女が久しぶりに遊びに来た。目が乱視になって困っているとだけ言った。そのときは6秒間の予知がとても面白かった。ぼくは彼女の機嫌を損ねることをすべて上手く回避できた。つねに6秒前に幸せな僕たちの姿を見ることができた。6秒後ぼくはその幸せに浸った。 ぼくらは付き合い始めたばかりだったが、彼女となら一生過ごしたいと思ったくらいだった。ぼくらはソファに並んで座っていた。左目は彼女が目をつむるのを見ていた。ぼくは右目で彼女を抱き寄せ彼女にキスをした。目をつむって長く長くキスをして、僕らはとても愛し合っているのだとわかり涙が一滴落ちた。 そして何かは涙とともにどこかに消えた。
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| テキーラ・サンライズ(小説) |
その店は落ち着いた照明が素敵で、グラスやボトルに反射して暗いダイヤモンドの洞窟の中にいるような気分に裕子をさせた。音楽も邪魔にならないように注意深く選曲されていた。その所為で大声を上げてしゃべる客もいなかった。みんな人生の奥深い秘密について打ち明け話をしているみたいにみえた。 彼女は、テキーラ・サンライズを飲み続けた。彼女が引きずっている青春の面影みたいに。 久しぶりに会った広志は、生まれたばかりの子供のことを話していた。裕子は子供が好きではなかったが、そのことは誰にも話していなかった。広志は、子供がどれだけかわいく、どれだけ手がかかり、どれだけ未来があるかを語り続けた。 裕子はテキーラ・サンライズをまた注文した。新しいカクテルを顔の前にかざしながら沈み行く夕陽のことを思った。太陽は昇るべきなのに沈むことしか考えられない自分にがっかりした。 隣の男は、大学時代から今まで何がありどんな困難を乗り切り今どんなに忙しくしているかを今度は話し始めた。裕子にもその類の話はあったが、むしろ何が出来ず、何を失い、それらが何だったかもはっきり思い出せないことにいらいらしていた。 またテキーラ・サンライズを注文した。彼女は、今度はそこに日の出を見ようと近いながらグラスを見つめた。死人のような子供時代に別れを告げ、自分の可能性を世界一高い山から見たように錯覚した時期があった。失ったのはその錯覚だけかもしれなかった。道は、奇妙にこんがらがっていて、いつの間にか一方通行の長い道に迷い込んでしまった。もう一度高い山に登れたらと何度も思った。 気がつくと、彼も彼女も沈黙していた。そして彼は言った。 「とにかくこんな偶然てないよな。君がぜんぜん変わってないのですぐわかったんだよ。元気そうでよかった。告白しちゃうけど、大学のとき君のこと好きだったんだ。そのとき自分がぜんぜん冴えない奴だと思っていて、まあ勇気が出なかったんだ」と。 じゃあ今は冴えているんだと裕子は思った。またテキーラ・サンライズを注文したがもう何倍飲んでいるのかわからなくなってしまった。 「ねえ、広志は人生を変えられると思う?」と裕子は意地悪く聞いた。広志にはその意地悪さは伝わらなかった。 「人間プラス思考になればどんなことだって成し遂げられるよ」と彼は言った。どっかの安っぽい新興宗教のように。彼女は嘘をつくのにやましさは感じない性質だった。そして彼に言った。 「ねえ実を言うとわたしも広志のこと大学のとき好きだったのよ。なんで言ってくれなかったの。違う人生を歩んでいたかもしれないじゃない?」と、おもちゃの玉手箱を開けるように楽しく。 広志は、本気にしてまんざらでもない様子だった。彼女は追い討ちをかけた。 「ねえ、また今度会ってくれる?」と。 広志はもちろんだとすぐに言った。 彼女はすぐに真っ赤なワインを注文し、広志の真っ白なシャツにぶっかけた。店がざわつき、バーテンダーがタオルを持って広志のところに駆けつけた。裕子は、何も告げず、その場をさっさと立ち去った。 別に広志のことを何だと思ったわけではなかった。彼はそうなる可能性を考慮する能力のない凡庸な人間だったというだけだった。彼女はそうする可能性があったので直ちに実行しただけだった。もう二度とこんな偶然はないだろう。 裕子はタクシーに乗り込み、遠くのアパートまでいくように伝えた。彼女はしばらくして眠り夢を見た。 彼女は馬に乗り、明け方世界で一番高い峠を越えようとしていた。太陽に照らされた眼下の世界は雲の下にあり、彼女にどんな道しるべも示してはいなかった。彼女は馬を降り、峠から空中へと飛んだ。ゆっくり雲海の中に滑走していくと、その中は視界が悪く、自分が上を向いているのか下を向いているのかもはっきりしなかった。厚い雲から抜け出すとすぐに地上で彼女は最初の木の枝に手をかけた。それが自分の人生だと、夢の中ではっきり理解した。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| デスペラード(小説) |
彼女は7人の男を掛け持ちし、二人は恋人であり、一人は不倫であり、三人はろくでなしで一人はプラトニックな形而上学的恋愛をしていた。彼女がどのようにスケジュールを組み、誰とセックスししなかったのかは僕にはよくわからない。僕はその中の一人であった。僕は彼女がビーナスのように好きで、身も心も捧げたかったが、彼女はそのようには相手にしてくれなかった。ぼくはぼくで、パート・タイムの女の子を作っては、ゴミ箱に入れた。退屈紛れに付き合った女がもっと退屈だというのは、僕に倫理的動揺を与えた。身体が目的なのとしばしば言われたが、身体以外の何をお前は持っているのだと言いたかった。もちろんあえて人を傷つけてトラブルを増やすのは賢いことだとは思えなかったので、聞こえない振りをした。 彼女は言った。 自分が、ある種のカオスにいることはわかっていると。けれど、彼女は好きになった以上それを上手く避ける方法を知らないと。彼女は、知性的でクールで、もちろんきれいだったがそれを強調することはなかった。彼女は、女性雑誌から飛び出してきたみたいな女を、拳銃を腰にぶら下げて通りを歩くならず者のように思えるといった。彼女は古い映画ばかりやる映画専門チャンネルが死ぬほど好きなのだ。そして言ったその拳銃はその女たちが使うには重すぎ、何も打ち抜くことができないのだ。つまり本物が腰にあるということを見せることが重要なだけなのだといって、皮肉な笑みを見せた。 彼女に言い寄る男はそんなに多くはなかった。彼女の言うとおり彼女はどちらかというと普通地味な女にしか見えなかったのだ。そして普通男の目を見ることはなく、どこかある一定のポイントを見つめておしゃべりをした。「そうなんだ」というような無知性まるだしのことばは使わなかった。彼女もそのように適当に、くだらない話にけりをつけたかっただろうが、彼女はおしゃべりゲームでジョーカーを引くのは嫌だった。彼女は、その代わりしばらく間を置いて、いつか見た映画の話を延々とすることが多かった。彼女は細部まで鮮明に覚えていたので、センスのない男は口を挟む余地がなくなったもだった。その間に多くの男が酔いつぶれ彼女は立ち去った。 ぼくは、彼女の恋人の一人であった友人から彼女を奪ったのだが、そいつは毎日クリーニングされた違うシャツを着るようなやつで、同じシャツに二度手を通すことは、世界の終わりの到来だと信じていたみたいだった。そいつが彼女を連れてぼくと会うようになったとき、もちろん彼女にすぐに惚れた。友人は、いつもビジネスチャンスについて話し、もうすべての成功のグランド・デザインは出来上がっているようだった。彼女はそのグランドデザインの所定の位置にすでに位置づけられていた。あるバーで友人を挟み話しているときもそんな風だった。友人がトイレに立ったとき、ぼくは今死にそうな気持ちであり、外で空気が吸いたいと彼女に伝えると、彼女も同意した。ぼくらは友人を置き去りにし、店を飛び出し、子供のように代々木公園まで一緒に手をつないで走った。 代々木公園の夜はカップルだらけでぼくらもカップルになった。彼女は言った。 わたしはひどい女ではないし、馬鹿でもない。違う男と翌日同じようにセックスするのはいたたまれないものであると。プロレスラーじゃないのだと。彼女は、なにもだれかれ構わず付き合ってはいないと言った。男はほとんど同じで、最低の生き物だと思っているといった。彼らには心がなく、砂漠のガラガラヘビみたいな卑怯者だといった。彼女は実例を聞きたいかと僕に尋ねたが、その代わりに彼女にガラガラヘビみたいに絡みついた。 彼女はぼくがキスしようとするのを避けて続けた。 世界はナスカの砂漠で、道徳や正しさについて確かに線が引かれてはいるが、それは上空から眺めない限り、線だとはわからないのだと。自分はいったいどこにいるのかよくわからないから、ガラガラヘビに身を任せるのだと。 もし、わたしが砂漠のよい旅人で、太陽と月と星の位置で自分が旅することができるようになるなら、きっとこんなカオスから抜け出せるだろうと言った。けれどぶ厚い雲に覆われ風雨にさらされているとき、わたしたちは自分がどこにいるのかどうやって知るればいいのだろうと、絶望的な声を出した。 ぼくはパケージツアーで砂漠にドライブしに来て本物のならず者に遭遇してしまったような気がした。 彼女は気づいていなかった。彼女自信が太陽であり月であり星であるかもしれないということを。ぼくは彼女に絡みつくことをやめ、彼女のひどく取り留めのない話をずっと聞いた。ぼくは彼女に恋をすることはやめなかった。ただし結局パッケージツアーなんて幻のゴンドラであることに気づき、彼女を自分の太陽とし月とし星としたいと思った。 彼女の相変わらずの男性遍歴には心を痛めたが、ずっとぼくと彼女は砂漠の太陽と月と星について語り合う中でいるままだ。頼むから昨日誰と寝たかについては話さないでくれと頼んだが、それも彼女の心の気象の重要な要素であって、彼女は低気圧のは一途のように昨日の夜のことを話した。 本当に地上絵はあるのだろうか。それはぼくらがあってほしいと願っているだけではないだろうか。ぼくらは砂漠を旅する。もっと太陽と月と星のことをしるまで、ならず者のようにさまよう。そうだいつかきっと、いつかきっと彼女と銀行強盗に入るのだ。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| オール・ニード・イズ・ラブ(小説) |
東京タワーは、ライトアップされていた。 最初に来たのは、たぶん、中学生のときだと思うけれど、違うかもしれない。大学に入学してまた来た。東京はひどく人が多く夏休み中にノイローゼになった。違う理由かもしれない。その理由を考えることが苦痛だった。しばらくアパートに一人閉じこもっていた。まだ複雑な問題を相談できる気楽な友達がいなかった。地元の友達に電話したりしたが、なんか東京がどれだけ楽しいかを説明しなくてはならずそれも苦痛になった。東京はどれだけ楽しいかと思い、とりあえず東京タワーに行った。施設内は安っぽい観光地でしかなかった。そんなものなら地元にもあった。東京タワーから展望する街は果てしなく広がり、本当にきらきら楽しそうだった。東京の街は、印象派の絵のように遠くから眺めなければならない。わたしはエレベータを使わず階段で降りた。途中でアベックがいちゃついていたが、無視して通り過ぎた。下から東京タワーを見上げるとそこには青空があった。一瞬時間が停止した。 わたしは目まいがして後ろによろけて倒れた。わたしはそのまま落ち着くのを待って、ゆっくり深呼吸をした。心臓の鼓動がものすごく大きく響いた。太陽はじりじりとわたしを照らし、額から汗が噴出し始めた。汗をぬぐい、頭の後ろに腕を回して地球と一緒に回転しようと思った。わたしは真っ暗な宇宙の中で地球と一緒に回転していた。そして地球とわたしは、灼熱の太陽の周りをゆっくり回っているのだ。とても寂しく感じたけれど、宇宙遊泳中に母船から命綱の切れた宇宙飛行士に比べればそうでもなかった。彼は真っ暗な真空の中にとても速いスピードで放り出され、すぐにただの点になった。 わたしは結局、その夏毎週東京タワーに来て宇宙について考えた。いかにもノイローゼだなあと思いながら。けれど次第に宇宙飛行士のことは忘れるようになった。 わたしは人を必要としていると思った。このままでは太陽系の軌道を漂うチリでしかない。 携帯で相手を探した。すぐに相手は見つかった。ほんの少しの時間で人と接するのは十分だったからちょうどよかった。けれどそういう人はしばしばわたしの神経を逆なでするような言葉を吐いた。それは痛手であった。もういいやと思った最後の人がこんな手段はやめるようにわたしに忠告した。親切な人だった。その人は会員制の秘密クラブを紹介してくれた。わたしなら人気出るよと教えてくれた。その人は会員だが高すぎてあまり使えないのだといった。 わたしは、転がる方に転がって行った。それは太陽系のチリとしてはとても理にかなったことのように思えた。そのクラブの人はみんな誰もが紳士的だった。少しだけ話をすることができ、その話はわたしにとってある種の精神分析だった。そうしてわたしの症状は少しずつ改善されていった。けれどたくさんの人といるのは困難だった。大学は、脂汗をかきながら通いまじめに勉強した。学生はみな子供みたいだった。 そして夜になると携帯の着メロが鳴る。精神分析の時間だった。たいていそれは東京タワーの近くホテルだった。男の人たちはみな愛を必要としていた。わたしはそれに近いものを提供できた。わたしも愛を必要としているのだろうか。それを考えると頭痛がした。 わたしは自分の存在を確かめに東京タワーを眺めに行く。 よしまだ一人で生きていける。 わたしは考える宇宙のチリにしか過ぎないと思うと、いつも少し救われた気持ちになる。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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| ロンサム・スージー(小説) |
ひとりぽっちのスージーの前にとうとう悪魔が現れた。 悪魔は、カルティエのブラックスーツに、代々伝わるシルクの黒いマントを身にまとっていた。いまどき黒いマントなんか羽織っているのは悪魔しかいない。それくらいスージーにもすぐわかった。 「いい天気なのに浮かない顔しているね」と悪魔はスージーにい言った。 スージーはいつも浮かない顔をしていたが、今浮かない顔をしているのは悪魔なんかが現れたためだった。悪魔はもっと頭がよくて底意地の悪い奴だと思っていたので、スージーはさらにがっかりして浮かない顔はもっと沈んだものになった。 「いい天気だとなぜ明るくてうきうきした顔しなくちゃいけないの?」とスージーは底意地の悪さを示した。 悪魔は、スージーが「悪魔を哀れむ歌」のコーラスを歌っていたので、ちょっと立ち寄っただけだった。 神も人気がないが、悪魔なんかに気にかける奴はひどく低脳な田舎ものの子供だけだった。かつて人間の世界がひどく不便だった頃、世界のバランスをとるために彼がする仕事はたくさんあった。恐怖が、良心には必要だったのだ。今では良心は必要なくクレジット・カードがあればよかった。暗証番号を忘れない程度の知性があれば人間たちは快適に暮せた。 悪魔はスージーに言った。 「ねえ、さっきの歌うたってよ」と。 「コーラスしか知らないの。それがぐるぐる回っているの。誰もわたしなんかに気にかけないから、気に入っているのよ」と答え言った。 「ねえわたしの名前を当てて?」と。 「ああ、初対面だからまず僕から名乗らなければね。ぼくはマイケルだ。君は」と悪魔は言った。 「スージーだけど、それが何か?」と彼女は悪魔の顔を見ずに言った。 「ちょっと聞いてもいいかい?」と悪魔は言った。 「わたしは女26歳独身彼氏はいないし今はそのつもりもない。好きな芸能人はロビン・ウィリアムズ。生まれたのはサウスカロライナ。星座は天秤座。テレビは見ない。教会には10歳のときから行っていない。仕事はマック・ジョブ。好きなことは一人でいること。それとパキシルを常用中ってくらいでいい。つまり人が関心を持つような人間じゃないの。あなたが悪魔で、わたしの身に何が起こっても心を痛めないわ。マイケル。残念ね。これでいい?」と彼女はパソコンで懸賞サイトに入力するように淡々と言った。 「OK、ぼくの出番が少ないってことはわかったよ。単刀直入に聞くけれど、君は何か怖いことあるのかい」と悪魔はなるべく彼女の機嫌を損ねないように言った。 「何もかも怖いわよ。私以外の人はみな秘密組織に入っていてわたしを台無しにしようとたくらんでいるのよ。昨日も、男を一人撃ち殺したわ」というと、スージーは悪魔の心臓めがけて拳銃を発射した。 スージーは、倒れた悪魔の足を引きずろうとしたが、悪魔はちょっと気を失っただけだった。しかしカルティエのスーツには大きな穴が開いてしまい台無しになってしまった。 それよりも悪魔はハートを打ち抜かれ、スージーに恋をした。そういうことが起こるとは聞いたことがなかったが、悪魔は運命を変える力までは与えられていなかった。 悪魔は正直にすべてを告白し、スージーと一緒に暮すようになった。たまにスージーが人を撃ち殺すことはあったが、スージーが人生を全うするまで二人はおおむね幸せに暮したとさ。 おしまい。 テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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