| 4月13日でダルフールは一応引退だ |
ほぼ確実にデイ・フォー・ダルフールを4月13日に主催できることが決まった。 最初にダルフールに付いて書いたのは昨年の4月29日でそれは第3回のデイ・フォー・ダルフールについての記事だった。 結局、ぼくはまあなんでもいいのだが国際水準に引き上げることが目的でそれを達成することになる。 ダルフール紛争が解決されるかについてはまるで責任がない。 離れ小島のちょんまげ結ったジパング民族にいやみを言いたかっただけだ。 ダルフール・ニュースは、4月13日で日刊をやめる。これ以上身が持たない。 一応社会復帰はそれを基準にする。 十分やった。
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| ダルフール紛争5周年記念日である |
ダルフール紛争は2003年2月26日ダルフール反政府勢力JEMとSLAがダルフールの政府施設をゲリラ攻撃した時始まった。
このころ世界も国連もイラクの大量破壊兵器報告に完全に集中していた。約1ヵ月後イラク戦争が開戦する。それはテレビ中継された華々しい戦争だった。イラク戦争が終わったのか続いているのかわからないが、少なくともイラクの紛争状態も5年続いていることになる。
ダルフール紛争が知られるのはほぼ1年後のことであって、その時はほぼ完全な民族浄化作戦中だった。2004年AU部隊が入り名ばかり停戦監視が始まったときにはすくなくとも150万人程度が村落を破壊された国内避難民になった。
それから5年間大規模な非難状態は継続している。
さてぼくは世界の警察ではないので、世の中知らないことの方が多い。 知らないでいいなら知らない方が気楽なので通常テレビを見ない。テレビが連日報道したことでその後重要なことは何ひとつない。重要なことは知られないようになっているのである。
ダルフール紛争への日本の加担もそのひとつだった。 ダルフールの非放送はこれから変わると思う。 そして君は始めらからダルフール紛争について知っていたかのように信じる日が来るだろう。 すべてについてそうなのである。
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| 只野ニッキー |
ブログ上に新たなキャラクターが登場した。 只野ニッキー である。
もちろんマンデイ太田も僕のキャラクターの一部だが、かなりパブリックなキャラクターである。書くものが一定の成果を挙げていないとどんどんボツにするキャラクターでこいつとだけ付き合っているとブログを書くのも半ば命がけである。 昨日からマンデイ太田キャラが構想しているのは「憲法における責任倫理と心情倫理」という半端でなく硬派なテーマである。これは集団的自衛権の問題を語る一つの補助線を入れるためだけの議論である。まだその件に関しては「憲法の国際性と独自性」(仮称)というテーマも設定している。マンデイ太田キャラは、集団的自衛権の研究会が発足したからといってそれにすぐコメントするようなおっちょこちょいではないのである。まあしばしばテーマは作ったが忘れるとか、飽きるというのはあるんだけれど。
「只野ニッキー」もGoogleで検索したら該当者はいなかった。名乗った勝ちである。今後昨日書いたようなだらだらしたものは只野ニッキー名義で書く。
このブログは、マンデイ太田と只野ニッキーの共同ブログとなった。 予想外だ!(パクリ) 今後ともよろしくね!
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| 商業音楽の終焉 II |
音楽はどんどん聴かれなくなっている CD前年比6.9%減 DVD等が同3.2%減 昨年減少の歯止めになったインタラクティブ配信が16.4%減 その主軸だった着メロがなんと46%減であるそうだ。 ようするにもはや音楽消費の減少傾向は歯止めを利かす分野が亡くなったということである。
そういうわけで、昨年商業音楽の終焉の記事を書いたが、本当におしまいなのだ。信じられないかもしれないが終わったのだ。
音楽聴いているくらいなら日本人はもっとよいパートナーとセックスした方がよい。ちゃんとセーフ・セックスでね。 その方が健康だと思う。
そうするとレコード会社やJASRACや文化庁はセックスが著作権を侵害していると言い出すだろう。ほら愛の歌ばっかりだからさ!
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| サドン・フィクション「チェンジ・オブ・ハート」掲載しました |
「ザ・ベスト・アルバム」にサドン・フィクション「チェンジ・オブ・ハート」掲載しました。シンディ・ローパの曲名だね。
かなり書き直しの末、薄っぺらい話になりそうなのをこらえたんだけどな。だんだん無責任にかけなくなった自分て何者?
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| 札幌のダンキン・ドーナツ問題断念す |
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」に札幌へ行ったら、いるかホテル(「羊をめぐる冒険」に登場する)が、ホテルドルフィンになって外出するのはダンキンドーナツという話がある。
なんでこれにこだわっているかと言うと札幌出身の女の子(今なら30位かな?)にそのことを聞いたら「ない」といわれたからである。まだそのころ今みたいにネットで何でも調べられると言うような状態ではなかったので、その話はドーナツの輪の中みたいな話になってずっと引きずってきたのである。 今から約20年前札幌にダンキンドーナツがあったかどうかはネットを探しまくってもわからなかった。まるで村上春樹が書いた小説みたいである。
事実を調べるのは簡単である 1988年 「ダンス・ダンス・ダンス」 1990年 アメリカ・ミスタードーナツ、ダンキンに吸収 1998年 ダンキンドーナツ日本撤退 なので札幌にダンキンはありえた。 しかし村上はリアリズム小説家ではないので、札幌に仮にダンキンがあろうとなかろうと札幌のダンキンを小説中に書くことはいくらでも可能なのである。ダンキンは、村上の小説に頻繁に登場するサブカルチャーのガジェットのひとつでありうるし、その可能性が高い。 ものすごいアメリカ通である村上は、アメリカでは本家がダンキンで、分家がミスド、そしてその他ということをはっきり知っていた可能性が高い。 こういうディテールも村上の小説で非常に重要で、それは音楽でもそうだが、料理のレシピまですべてある種の審美眼で見抜かれた小説の素材のクオリティの問題に、ダンキンも確実に関係している。 もし本当のドーナツを知っているんならもちろんダンキンドーナツだよねというようなメッセージがあるのである。 それは酒の銘柄でも服のスタイルでもそうであるようにそうなのだ。
もう一つ「ダンス・ダンス・ダンス」がどこで執筆されたかと言う謎の問題もある。曖昧な記憶によるとすでにアメリカに行っていたかもしれない。すると「アメリカではダンキン」というのはもっと自然に出てきた発想かもしれない。 1991年プリンストン大学に招聘されるのだけれど。
以上わかることはこれがすべてでもう探索はあきらめる。誰かこの書き込みを発見したら続きをやってくれ。
まああとダンキンドーナツがレトロなモダンを、ホテルドルフィンがハイパーモダンを表象しているのは間違いなイ。「ダンス」は、1960年代的な「ノルウェイの森」から自ら手を切ってなお書くこと自体を書いたメタ小説みたいな作品である。その考え方はきわめて正確だった。なぜなら翌年1989年ベルリンの壁が崩壊することになるのだからである。
ちなみに日本ダンキンはセゾングループにより進出するけれど、1988年!セゾングループは倒産再建中の吉野家とダンキンを合併しD&Cを設立。しかしセゾングループの総裁だった堤清二が1991年失脚以降セゾングループのリストラが始まり、ダンキンは吉野家D&Cの傘下に入る。
つまり日本ダンキンドーナツもセゾンのポップ・カルチャーのガジェットであったという点で、微妙に村上文学と交錯しているのである。ちなみにプリンスホテルを展開していたのは兄の堤義明であった。それはさすがに偶然だろう。
あるいはダンキンドーナツの輪の中の中空こそ村上文学の本質を表現しているのかもしれない(ウソ)。 少なくとも吉野屋傘下のダンキンでは村上文学は書けないだろうなあ。そういう意味で1998年ダンキン撤退は村上文学にとっては必然と言うべきものであったのじゃなかろうか?
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| 風に吹かれて(サドン・フィクション)投稿 |
「サドン・フィクション」に「風に吹かれて」を投稿しました。ちょっとカフカ「変身」風。
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